跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/15 BGM: Fatboy Slim - Praise You

今週のお題「読みたい本」

今日は早番だった。職場で、ぼく自身が発達障害者だという話題について話す一幕があった。相手の方は「でも、仕事もできていますし、気にすることはないですよ」とおっしゃった。知られるように、発達障害というのはなかなか外から「見えにくい」障害である。ぼく自身「ぜんぜん発達障害者のようには見えませんね」と言われたこともある。それは「気にしなくてもいいですよ」というメッセージだと思うし、その人の優しさだとも思うのだけれどもそう言われてしまうと「このつらさというのは、相手からすると『大したことない』『大丈夫』という次元の話なのかなあ」と考えてしまう。ぼくがひねくれているのだろうか……いや、何も「ぼくのつらさをわかれ」「このつらさがあなたにわかるか」と言いたいわけではない。逆で、「ぼくは日々つらいつらいと思って生きているけれど、それはぼくの思い込みなのかもしれないな」とも思ってしまう。確かにこの障害のせいでぼくはずいぶん変わり者扱いされて、学校や職場でいじめられて白眼視されてひどい目に遭ってきたのだけれど、それでもそうして優しく「気にしなくてもいいですよ」とおっしゃる方も現れたりして、時代の趨勢が変わっているのを感じる。

我、自閉症に生まれて……それでつらい思いをして心が折れそうになった時、ぼくはこんな動画を見て心を癒やす。スティーブ・シルバーマンという人がTEDトークで語った自閉症発達障害に関する歴史だ。数年前、ぼくはひょんなことから姫路の書店で邦訳された彼の著書『自閉症の世界』を買い求めたことがあった。実に力作で読み応えあり(誤訳に満ちたひどい仕事だと一部の良識的な読者が指摘している1冊でもあるのだけれど)、ぼく自身この本から自閉症をめぐる数奇な歴史を学ばせてもらった。そして今、ぼくは原書でこの『自閉症の世界』(原題は『NEUROTRIBES』)を読んでいるけれどぜんぜん進んでいない……何はともあれ、そのシルバーマンの動画「忘れられていた自閉症の歴史」を今日も昼休みに見て、そして泣いてしまったのだった……シルバーマンは実に明確に自閉症者/発達障害者が捉える世界のありようを語り、彼らの尊厳を大事にすることを語る。彼は彼らが単なる「異端」「奇人」ではないことを語っている。ゆえに排除されるべきではない、と。

www.ted.com

シルバーマンの動画を見直して、ぼくは改めてぼくたちの存在意義というかこの世界に生きる意味について考えさせられた。発達障害者は定型発達者(マジョリティ/多数派)から見て単に「異常」な「エイリアン」なわけではない。彼らは彼らで別の形で世界を捉えている。極端にかつ大げさに言えば「定型発達者には見えないもの」を見ていると言ってもいい。だが、ここで気をつけるべきはだからといって「発達障害者が定型発達者よりおしなべて優れている」というわけでもないということなのだと思う。もしそんなウンコなことを言い出せば、「発達障害者/定型発達者」という対立から無益ないさかいが生じる。そうした対立を乗り越えて相互が理解し合い、支え合いこの人間社会を前進させるにはどうしたらいいか。シルバーマンが言いたいのはそういうことなのだとぼくは解釈する。ぼく自身、職場で常に定型発達者が見えないものを見ていて(例えば書類の誤植だ)、それをいち早く指摘することで職場に貢献しているつもりでいる。それがぼくという人間の特性なのだ。それをぼくは今、誇りたいと思うのだがどうだろうか。

夜、いつもの宍粟市国際交流協会の方がホストとして運営しておられるミーティングに参加する。今回は欧州のゴミ問題について。宍粟市でゴミを処理することの難しさについて(ゴミ出しにまつわるプライバシーや分別の難しさなど)を話す。思えばこのミーティングを通して去年、ぼくは宍粟市に住む外国人向けに書類を英訳するという役目を仰せつかったりしたのだった。ぼくは33歳の時に自分が発達障害者だとわかったのだけれど、そこで言語性IQが高いことを指摘されたりしたっけ。英語を使ってこうしてあれこれ書いたりしているのもそうした特性ゆえだ。明白な事実として、人は1人では生きていけない。皆との支え合い、助け合いが社会を前へ推し進めるとぼくは信じる。ならばこのミーティングやそれを基にした活動にしたって同じことで、ぼくはそうした言語能力を活かして貢献できたらなと思っている。それが、ぼくがこの世に生まれた意味・意義なのかなと思うのだ。「定型発達」というOSを搭載した人からは見えない世界を、「発達障害」というOSを持つぼくから語れたらいいなと思っている。