跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/20 BGM: ウルフルズ - 大阪ストラット

今日は早番だった。仕事が終わった後、英会話教室に行く。そしてそこで1人の講師の方にロシアの方からの発達障害に関する質問についてお見せして(ほんとうなら和訳したものも作りたかったのだけれど、時間がなくてできなかった)、ぼく自身が誤読・誤解していないかチェックしてもらう。その方からていねいに、ぼくが誤読・誤解しているわけではないと教わったのでホッとしてしまった。その後授業が始まって、今日はぼくたちは海外の食文化について教わった。講師の方々の好きな食べ物について、そして宍粟市で食べられる美味しい海外の食べ物について(ぼくが即座に思いつくのは、オーソドックスではあるがラーメンやナシゴレン、あるいは台湾レストランの食事などだ)。楽しいひと時を過ごす。そして授業が終わりグループホームに戻って、ぼくは邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』の続きを読もうかと思ったのだけれどさすがにぼくの中のバッテリーが切れてしまったようで、何もできずにうだうだすごしてしまった。まあ、そういうこともある。

前にこの日記にぼくの夢について書いたことがあった。ぼくの夢……それは具体的にはぼく自身が海外と宍粟市を「つなぐ」役割を果たすことだ。それをぼくは勝手に「ブリッジャー(bridge person)」と呼んでいる。通訳や翻訳者として、異文化交流の場で困っている人を助けられたらと……そのためにはもっと学ばないといけないわけで気が抜けない。そして、これはポジティブというかオプティミスティック(「楽天的」を通り越して「能天気」と言うべきか)かなとも思うのだけれどそんなぼくの夢を叶えるためにぼくの発達障害が寄与すればとも思ったのだった。思えば遠くへ来たもんだ……村上春樹のように国際的に通用する作家や翻訳家、もっと言えば知識人になりたいと憧れたこともあったっけ(そのことが心の片隅にあったから、彼の母校である早稲田なんてところに行ってしまったのかもしれない)。結局作家には逆立ちしたってなれないと思い知ったのだけれど、でもそれはしょうがない。ぼくはぼくの道を歩むだけだ。

Discordでぼくがやっているコミュニティも、多数の人が参加して下さっている。ありがたいことだ。彼らとも英語でコミュニケートしており、提示される日本語の疑問に関してぼくが答える機会にも恵まれて……思えばぼくはプライベートでも日本語教師の方と知り合ったり、それが縁で日本語教室に見学に行ってみたりするようになったりして「言葉」を学ぶことが増えた。過去にぼくが大学で学んだのもアメリカ文学で(カッコつけてボブ・ディランルー・リードの歌詞を「かじって」みたりしたっけ)、つまりは「言葉」だ。それを言い出せばぼくがかつて目指した作家だって「言葉」の魔術師というか職人とも言えるわけだ。ぼくが尊敬するウィトゲンシュタインだって「言葉」を重んじた哲学者だ。そして今、ぼくはその「言葉」を媒介する「ブリッジャー」になりたいと思っている……自己分析のしすぎかもしれないが、ちゃらんぽらんに生きてきたぼくの人生もこうして振り返ってみれば意外と一本の「筋」「道」が通っていることに気付かされる。ならこの「筋」「道」をこれからも歩いていきたいとも思う。スティングに倣って「Let your soul be your pilot(きみの魂がきみ自身の操縦士だ)」の心意気で。

でも……こんなことを書くとまた「いいね」されなくなるのだけれど、根っこにあるぼくはただのエッチな凡夫でしかない。でも、人はぼくのところに集う。10代の頃にぼく自身がありえないほど嫌われ、笑われ蔑まれていたのを思い出す。あの頃と比べると「隔世の感」を抱いてしまう。というか、「異次元」「パラレルワールド」に迷い込んだのではないかとさえ思う。『世にも奇妙な物語』の世界というか、もしかしたらある日映画『マトリックス』のモーフィアスみたいな人が現れて「何だと思ってたんだ? 全部夢だったに決まってるだろ? お前がそんなに『モテる』わけがないだろう」と言われるのかもしれない、と思ってしまう。アホみたいな「たわごと」に聞こえるかもしれないけれど、ガチでそう思ってしまう。40歳の時に片思いの恋をしたりしたこと、ジョブコーチのプロジェクトを進めたこと、英語を学び直したこと、Discordでコミュニティを立ち上げたこと、ロシアの女性とのこと、その他もろもろ……もし、これらがぜんぶ、まるごと「夢だった」としたらどうしたらいいのだろう? ある日目覚めたらぼくはまだヘビードリンカーの毎日を生きているのかもしれない。その可能性にぼくは怯えている……。