跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/07/07 BGM: Cornelius - 未来の人へ

今日は早番だった。実は昼食時、会社で助六寿司とマドレーヌを振る舞われる機会があって美味しくいただいた。というのは会社が開催するお誕生日会があり、7月生まれの従業員の誕生日をまとめて祝ったのだった。ボスとたくさんの従業員が出席し、そこでなごやかに話し込む。ぼくはぜんぜん話すこともできずどうしていいかわからないという情けないありさまだったのだけれど、楽しい場であったことは間違いないことだ。

誰もがそれぞれの人生を生き、歴史を生きてきたのだなあ、と思う……ということを日本では「人に歴史あり」ということわざで表現している(それとも、これは海外のことわざなんだろうか)。ぼくの場合は1998年にいろいろあってひょんなことから潜り込み、いままで実にピンボールのようにあっちにはじかれこっちにはじかれしてジグザグに生きてキャリアを積んでここまで来た。だからかれこれ20年は働いてきたことになり、1人の「ベテラン」「老練」の勤め人であることになる。いや、結局何者にもなれず管理職的なこともできずぼやぼや働いているだけなので決して偉そうなことは言えたものではないが、それでもいまは「信頼の置ける」人にはなれているのかなあと自負する(と書くことだって、いまならプライドを以てできるし他の方からも許してもらえると信じる)

その席で、たまたまとなりに座っておられた女性がぼくが机の上に広げていたメモパッドを見ておっしゃった。「英語で書いているんですか?」。そうですとぼくは答えて、そして2020年からかれこれ4年ほど(あのパンデミックの時期から)続けてきたのだとお教えした。「じゃ、もうペラペラですね!」とおっしゃって、それでなんだか面映ゆくなった。いや、誰から頼まれたわけでもないのにネタ帳のつもりでぼくが勝手に広げていたというのに、そんな言葉をいただけたのはありがたく、顔が真っ赤になる思いがした(でも結局、ほとんどしゃべれなかったのは上に書いたとおりである)。

でも、そもそもそんなにぼくはペラペラしゃべれるんだろうか。いまもってなお、ぼくは自分の英語が通じているんだかナンセンスなんだか確証が持てずうろたえる。40の歳、このまま呑み続けて呑んだくれて死ぬのは悔しいと思い、その意地だけで断酒に踏み切ったその年齢からぼくはジョブコーチの方の薦めもあって英語をイチから学び直すことを決めた。それから毎日毎日ぼくは「ゆるく」というか「まったり」というか、そんな肩の力を抜く姿勢で英語に励む日々を送っている。たとえば英語で日記を書く。そして、Zoomで英語でミーティングに参加する(今日も都知事選やイギリスあるいはアメリカの政局の話を他の方から英語で教わった)。他にはDiscordやMeWeで英語でチャットしたり。「まったり」と書いたのはもちろん意図的なもので、義務・拘束もなにもなく楽しむため、愉快な思いを味わうためにやっている。なんともお気楽極楽なものである。

5時に仕事を終え、グループホームに戻り夕食のそうめんをいただく。その後、アーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記』を少しばかり読むももうくたびれ果てていたからか、うとうとしてそのまま眠りこけてしまい結局ぜんぜんはかどらなかった。なんだかなあ……もう49でありしたがってかつてのようには若くはないのだった。グループホームで管理者・副管理者や世話人さんたちから七夕を祝うイベント(短冊にお願いごとを書いて笹につるすというもの)に誘われていたので、「世界平和」と「英語を上達したい」と書いた。でも、いま思えばもっと欲望に忠実に「ソウルメイトが欲しい」とか書いてもよかったかもしれないが、そんな煩悩を書いても織姫と彦星も困るだろうとも思ったり……そんな49歳の夏なのだった。