しかし、今朝はけっきょくなにも手につかなかった。その代わり、巨大な不安というか恐れが襲ってきてそれを払いのけるのが精一杯だった。英語メモも書くこともできず、建設的な考えがぜんぜん思い浮かばない。理由はわからない。年末年始のプレッシャーだろうか。頭を抱えうずくまって、固まって時間が無為に過ぎていくがままに任せる。だが、そうこうしているととつぜんこんなことを思い出した。どういうシチュエーションにおいてそんなことが起きたかはもういまとなっては思い出せないのだが、ある友だちがこんなことを言っていたのが鮮明によみがえったのだった。「言いたいことがあるのなら言えばいいんだ。言わないと伝わらないよ」。いや、こうして言葉にしてしまうとそんなにたいした・たいそうな真実というわけではなくありふれた一般論だ。でも、今朝のぼくにとってはそれこそ目の前にあらわれた大事な手がかりに思えた。その言葉に導かれ、勇気を以て友だちにメッセージをあれこれしたためて午前を過ごした。
今日は遅番で1時から9時まで仕事で、5時から予定どおり1時間休憩時間をもらった。休憩中、この2024年にあったことをあれこれ思い出そうとする。どんな年だっただろうかと……だが、こうして日記を毎日書きつづっているにもかかわらずぼくは(日記のバックナンバーも、なんだかんだでめったに読み返すこともないので)今年あったことをさっそく・きれいさっぱり忘れていることに思い至る。いやおかしい、いろんなことをしたというのに……あれこれ時間をかけて、2度にわたって親知らずの抜歯をしにとなり町まで行ったこと(その後、目まいに襲われたりしてたいへんな目に遭ったこと)を思い出した。とても暑い夏の盛りのことだった……そして、思い出してしまえば忘れていたことが不思議ですらあるのだけど、たしかに思い出せたのは近所のブックカフェのオーナーの先生に薦められて絵を描いて、それを公に見せたことだった。そんな1年だった。なんだかのっぺりしていたようなそうでもないような。来年はもっとたくさんのことにチャレンジできたらいいなと思った。
ぼくがお世話になっているLINEのオープンチャットのグループにて、面白いメッセージが投稿されているのを読む。大阪での体験談で、ある方(外国滞在の体験の長い方)が、日本語が流暢だと言うのにその方が日本語であれこれほかの方に話しかけたところ相手の方々から「英語で」返事が返ってきたという話だった。もちろんこれは、外国人ならグローバル・ランゲージ(世界言語)たる英語が流暢であるはずだという思い込みによるものだろう。いや、これはぼくも「同じ穴のムジナ」でいまだに外国から来られた方を見ると「英語で話しかけた方がいいのかなあ」と思ってしまう。もちろん世界にはあまたと言語があり文化がある。彼らの文化や言語を断片的にでも覚えて、なんとかお迎え・おもてなしする努力をしないと行けないなとも思ったりもした(いや、なんだか話がズレた気もするが)。