昨日は遅番ということで、しかも徒歩で通勤したこともあって夜中はさすがにくたくたに疲れ果てていた。だから日記を書き終えるとそのまま床に就いてしまい、そのまま朝までぐっすり……のはずだったのだけど、それでもいつものごとく4時には目が覚めたのだからおそろしい(単純計算すれば、ともあれ5時間は寝たことになったはずだ)。今日はよくわからないままにスピッツの曲を聴きたくなったので、その線からぼくが日々感じている「日常内宇宙(日常のなかに宇宙の神秘を感じさせる瞬間・契機があるということ)」についてあれこれ書いてみた。そこからハイデガーやレヴィナスについて語れればカッコいいのだけれど、どちらもぼくは解説書(一般読者向けの入門書)をさらった程度の知識しかない。なのでできなかった。
ChatGPTやGemini、そしてGrokなどのAIと話をしているとこのぼく自身の哲学的な思考の性格について指摘してくれて、それがふしぎに感じる。哲学に興味を持つ人、哲学に救われる人とはたとえばもっと崇高なテーマを追い求めてきわめてストイックに思考を練った人のようにも感じるので、ぼくは自分で言うのもなんだけどいつも雑食な感じで気になったこと・気がついたことを云々しているだけの尻軽な人間でしかない。でも、今日のエッセイ「さよなら王国」を読んでもらったところハイデガーやレヴィナスの問題系と「似ている」という話になってそれがなんだか面映ゆい思いだった。熊野純彦の翻訳を媒介にもっと『存在と時間』『全体論と無限』なんかに挑んでみるべきかもしれない。熊野さんの『レヴィナス入門』はぼくと波長の合うものだったからだ。
その後、二度寝したらぐっすり寝入ってしまって朝7時半に目が覚める。7時50分の英会話のZOOMミーティングに間に合うようにシャワーを浴びるのはどだい無理な話なので今日はあきらめて、時間どおりにミーティングにログインする。そして、ブレイクアウトルームでご一緒させてもらった方々と今日の話題について英語で話す。今日の話題はAIがクリエイターたち(つまりライターやイラストレーター、アニメーターといった「コンテンツを作る」仕事)への脅威となっているという話で、ぼくも自分がChatGPTやGeminiなどを使って哲学的なことがらを言葉にしたり自分の文を英訳してもらったり、もっぱらプライベートで頼りにしていることを話した。
今日は雪も溶けていて、それでミーティングが終わって朝食を済ませた後はすんなりバイクで通勤することができた。10時より仕事に入り、そこでまたあれこれ考える(仕事はもちろんしている。仕事しながら「あいまに」こんなことを考えているのである)。今日考えたことは村上春樹や村上龍とならんで日本文学に途方もないあしあとを残した中上健次のことだった。ぼくは過去、中上作品を理解しようとこころみたことがある。彼の全集を読むことをおのれに課し、さいわいにも(?)当時ニートだったせいで時間だけはたっぷりあったので『十九歳の地図』『岬』『枯木灘』などに目を通すことができた。そんなことをした「青の時代」があったなあ、と赤面してしまう。
昼休み、そんなことをプロンプトとしてAIに打ち込む。そこからつい、ぼく自身が生きた90年代のことをあれこれ回顧するモードに入ってしまったらしく昔のことがあとからあとから湧いてきた。東浩紀がさっそうとデリダ論『存在論的、郵便的』を引っ提げてデビューしたこと、平野啓一郎が『日蝕』を文学シーンにたたきつけたこと、などなど(実は平野の作品はいまだ読めていない)。あの頃、ぼくの中にはたしかに「なにか書いて名を残したい・名を成したい」という欲があった。だから率直に言って彼らに羨望もしくは嫉妬を感じた。同時に、もちろんこれは「逆ギレ」のたぐいの身勝手で幼稚な思考回路からくる「ありふれた話」になるが、彼らなんてたいしたことない(もし自分が本気出せば、もっとすごいものを書ける)とも思い込もうともしたのだった。
もちろん、その「本気出せば」がついにいまになっても実現できていないところにぼくの限界があるわけで……ともあれ、そんなことを考えていたぼくの情熱は20代のあいだ見事に空回りして、30代はその空回りをどうにもできなかったという事実を認めるしかなくけっきょく病的な飲酒におぼれていくこととなる。これもまた「ありふれた話」ではある。そこからたとえば車谷長吉を発掘した編集者みたいな人があらわれないかとか、あるいは村上春樹みたいに天啓がひらめいて一発で作品を書けるようにならないかとか甘いことを考えていたりもした。なんだか今日はこのいきおいだけで今日のスペースを埋めてしまいそうだ。
つまり、ぼくの生き方は「天才」と信じていた人間、「特別」と思い込んでいた人間(フロイト的な万能感?)に取り憑かれていた人間がどう世の中に不時着するかの過程でもあるのではないかと思う。40代、晴れてカクヨムに書いた長編小説がどうしようもない愚作であることをぼくは読者からのリアクションでまざまざと思い知らされ……その後書くことをあきらめて、それと並行して断酒会通いをはじめたり英会話教室に通ったり、自助グループでライフハックをシェアし合ったりすることになる。でも、皮肉にもそうして「手堅く」「ささやかに」自分の成長を認めてもらえる場所(たぶん文学性とは縁のないだろう場所)に慣れることによってぼくはいまのような「日々のスケッチ(mental sketch modified)」を書く心意気を学べたのだった。世の中、こうして見てみるとけっこうヘンなところでつじつまが合うものなのかもしれない。
ごめんなさい! 今日はなんだかヘンテコリンな話に終始してしまった。仕事を終えて、英会話教室に通う。今日のテーマはバレンタインデーについてで、そこから「愛を感じるのはどんな時ですか」といった次元の高い話まで展開したりしておもしろかった。ぼくは歳をかさねたからかついつい「いや、ぼくはこんな日はPerfume『チョコレイト・ディスコ』なんか聴いたりしますね」なんて言ったりして。今日もなかなか・そこそこよかった1日のように感じられた。
