その後、グループホームの本家に行く。今日は副管理者の方が出勤しておられたので時間を設けていただき、ぼく自身のことがらについて話し合う。この年末年始のスケジュールについて、精神的な問題について、そして前に話し合ったことがあった冬服などを管理者・副管理者の方々と一緒に買い求めに行くスケジュールについてなどなど。その後、この日記でも前に書いたことがあるぼくの右手の中指の先の傷のことを話して患部をその方にお見せしたりした(おとといの月曜日に総合病院の精神科の診療のあとに、患部が痛み膿さえ出てきたりしたので別の皮膚科の先生にお会いしそして抗生物質入り軟膏をもらったりしたのだった)。その後は部屋に戻り、そしてランチを食べしばし昼寝をする。
午後になり、となり町の図書館で本を借りる(沢木耕太郎『ミッドナイト・エクスプレス』など。年末年始、本など読む暇もないのだがそれでも借りないと落ち着かないのである)。その後、朝におもいっきりサボってしまっていた「アイデア出し」というか「ひとりブレスト」をすべく英語でメモをちまちま書きつけていく。ここで書けそうなこととして1つ紹介させてもらうと、たとえばこんなことを考えた。Twitterやミクシィ2などのソーシャルメディアにて、とりわけまだ若い人たちが彼らの両親や所属する組織(学校や会社やプライベートなグループあるいはサークル)といったものに対して「暴言」ないし「愚痴」をあからさまに(あられもなく)漏らしているのが気になる。いや、ぼくは決して聖人君子ではなく、たんに邪念や煩悩にまみれたヘナチョコにすぎないので彼らの気持ちは理解できる気がする。ぼくだって思えばこの日記で同僚や上司、あるいは会社に暴言を記したのではなかったか。いまだって会社にも、そんなことを言い出せばグループホームの管理者や副管理者の方々にだって言いたいことはある。でも、そんなことをネットで書きたいとは思えないのである。それはぼくが「立派な」「御大層な」人間だからではこれっぽっちもなく、たんに「言いたいことはなんらかのかたちで本人に伝わるように言わないと気がすまない」という性分だからだろう。だからぼくはイニシャルトークや陰口を言えない。もちろんこれはぼくがいかに不器用な人間かを語っている。
だが、そんな性分がそれこそぼくが「超人」「タフガイ」であることを意味しないのはご存知のとおり。基本的にぼくは、何度も飽きもせず・性懲りもなく書きなぐってきたがたんなる煩悩にまみれた「凡夫」「弱者男性」である。「不動心」「明鏡止水」を夢見つつ・模範とさえ思いつつ、実際のところは無数に外部に存在する要素の中でキリキリ舞いしているというのが現実だ。40になり、今夜も参加したのだが毎週水曜日の断酒会につとめて参加するようになり、そして自助グループで前ジョブコーチやほかの友だちと切磋琢磨していろんなことを学ばせてもらい、英会話にも手を染めるようになったりして、そこで「外柔内剛」の姿勢というか「しなやかな心」といったものをちょっとばかりは学べたかなあ、とは自負する。いや、いまだにキリキリ舞いはする。でも、ネットでブロックされたり暴言を書かれたり(といったことがイヤでさいきんはもうTwitterはアカウントを削除しようかとも思っているのだが)、「でたらめで無責任な批判」をかまされたりすることについて前ほどは深く深く傷ついてしまうこともなくなったかなあ、とは思っている。ぼくは正しいし、彼らだって彼らの正義がある。どこで合意を見出し、折衷していけばいいか。折り合いをつけて認められたらいいか。そんなことを考えたりするようにもなったのだった。その後断酒会に通い、そしてまた自室に戻り本を読むともなく読んだりあれこれしているうちにまぶたが重くなり、寝てしまった。
メリー・クリスマス。