単純な生活

Life goes on brah!

20260209

今朝、4時頃目が覚める。起きてしまいそのまま散文詩「さよなら王国」を書こうかと思ったのだけれど、今日は気ばかりあせってしまいなんらいいアイデアが湧かない。それでもう今日はあきらめてしまうことにして(眠さがぶり返してきたこともあって)あっさりベッドに入って二度寝する。起きたら7時半だったのでそそくさとシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。天候が雪模様のせいかインターネット接続が不安定でこまったのだけれど、なんとかほかのメンバーたちとブレイクアウトルームにて英語であれこれ会話することができた。

今日の話題は日本の飲食店が苦境を強いられている(閉店などに追い込まれている)という話で、たまたまメンバーの1人の方がそうした飲食店経営の方だったのでくわしいお話を聞かせてもらうことができた。ぼくも仕事面や生活面で物価高をひしひしと感じる身としてこの話は他人事にはできない。ぼくは発達障害特性ゆえか、自分の世界に入り込んだらまわりが見えなくなる性格を持つ。それだけ特定のジャンルにずっぽりハマりやすい性格を持つということでもある反面、こうした特性ゆえに文字どおり人生を誤りそうになったことも1度や2度ではない。なので、こうしてさまざまな人々の生活に触れられる機会を貴重と考える。今日もいいミーティングだったと思った。

その後、外を見てみると昨日降り積もった雪がまだ溶け切っておらずしたがって原付を飛ばして通勤するのはまず無理と判断した。なので昨日に引き続き徒歩で通勤することにする。正確には、今日は遅番でそう早く出金しなくてもよかったのでいったん雪が溶け切るまで部屋で待つという選択肢もあったのだけど、でもこれもまた発達障害の悲しい性で日頃とちがうことをやろうとするとひどく不安になる。部屋でゆっくり散文詩を書こうと腹をくくっても、まったくソワソワしてしまって時間が無駄に過ぎていく。なので、携帯用のキーボード(スマートフォンBluetoothでつなげられる)を持参して通勤先で散文詩を書くことに決めてしまった。

それで徒歩で通勤し、いったん屋内に入ってそして散文詩を書きはじめる。アイデアなんてこれっぽっちも湧かなかったのだけど、自分と運命というテーマについて書いてみたら過去に読みふけった宮台真司宮崎哲弥のことを思い出したりして、そこから過去の恥ずべき体験もあれこれ思い出したりして、なんだかよくわからないうちに1編書けてしまった。ただ、赤裸々に明かすとするならまだ足りないようにも思う。誰かに頼まれたわけでもないのに自分の過去の黒歴史・恥部をあれこれ明かすというのも妙な話だけど……過去のぼくはそうすることによって自分の弱さをさらして逆説的に人間関係で「不可侵の弱者」を気取ろう、そう僭称しょうとやっきになったことを思い出す。いまはどうなのだろう。ぼくとしてはこの失敗体験をオープンソースみたいに「学べる」「使える」ものにできればなあ、などと考えている。

その後は時間があったので、明日の英会話教室のための宿題の英作文を書く。いったいこれもなにを書いていいかわからなかったのだけど、アメリカを中心とした詩について先週のレッスンで学んだことが念頭にあったのでこんかいは過去にぼくが英文学を学んだこと、英詩ももちろん授業の一環として学んだことなどを書かんとこころみた。その過程で、ふとぼくは自分の来歴である「早稲田出身」ということをしぜんに書いてしまった。このことを明かすことで過去にちょっと恥ずかしい思いをしたことがあるので(なんだかよくわからない「持ち上げられ方」をしたり、逆にひどく嫌われてこき下ろされたりしたのだった)ふだんは隠しているのだけれど、もうそんなに恥じることもないかと思ったのだ。

あたりまえの話をすると、いまこれを書いている時点でぼくが早稲田(正確には第一文学部英文学専修)を出たことを証明できる証拠はなに1つない。また、そこまでしてやっきになって証明することに意味があるとも思えない。たしかに過去にぼくは「早稲田に戻りたい(あの頃に戻って人生をやり直したい)」とか思ったこともあったかもしれないし、あるいは「早稲田に入ったのは失敗だった(地元の大学で身の丈にあった生活をすべきだった)」と思ったこともあったかもしれない。どちらもはやい話が「かんぜんな自己否定」である。それが嵩じて「生まれてきたことがまちがいだった」「並行世界の自分はどんな暮らしをしているんだろう」とまで思い詰めたこともあった。

いまは早稲田のことを「通過点」と思える自分がいることに気づく。それはなるほど、ぼくの身にあまるような「通過点」だったかもしれない。いまは「過去は過去。いまはいま」と過去を客観的に切り離す心理と、そこから「あの日々があっていまがある(図書館にもぐり込んでテリー・イーグルトンをめくってみたりした日々がいまに活きている)」と過去を評価する心理が自分の中にあることを感じる。そんなものなのかなあ、と思った。なんにせよ、人生はなおも続く。30年前の栄光(?)なんかより、たとえばいまDiscordで政治やエッチな話を交わせる環境がととのっていることのほうがよほどぼくはうれしい。

そんなこんなで仕事に入り、5時に休み時間をもらってそして会社の休憩室に行く。そこで佐野元春「アンジェリーナ」などを聴きつつ一服する。休憩室の窓際の席で、窓ガラス越しに空を見上げて過去のことをあれこれ思い出す。ぼくが在学していた頃だったか、広末涼子が入学してきてなんだか学内がおおさわぎになったことがあったのだった(ぼくも精神状態がよかったならばあの頃のことを記憶できていたはずだが、当時からもう鬱が入って厭世的になっていたのかまったく思い出せない)。

こうして日記をつけるようになって、そうして「コールド勝ち」だった日があったりあるいは「ボロ負け」だった日があったりして人生というのは波があって、でもその波に翻弄されずやるべきことをやっていたら報われる……というほど甘いものでもないだろうけど、でもすくなくともたしかになにかを蓄積できる(そして成長できる)ということがわかってくる。断酒会通いにしても英会話のZOOMミーティングにしてもしかりだ。いや、なんだか悟りすましたような内容の日記になったが、ほんとうのぼくはもっとデタラメでエッチなおっさんに過ぎないので誤解のないようにお願いします(あんまりマジに「エッチなんですか!? 最低!!」と受け取られても困るのだけれど)。