今朝、そんなディスカッションの席において過去の思い出を振り返るべくそんな飲んだくれで文字どおり孤立して夢想・妄想をふとらせていた時期を思い出そうとした。いまや、ぼくたちは電車やバスの中でほとんど誰もがおのおのの「スマホ」を眺めたりタップしたりしている光景を見ることができる。過去、それこそ誰もが新聞や本を開いていたように(マンガも含む。ちなみにぼくはマンガを交通機関の中で読むことを――かすかに違和感は持つが――しかしそれでも悪いこととは思わない)。スペインの医師・専門家がスマートフォンの使い方について警鐘を鳴らし、使いすぎがぼくたちのメンタルヘルス(精神衛生)によくない影響を及ぼすと語っていると聞く。それがどういうことなのか、ぼくは実感として理解できる気がする。なにを隠そう、ぼくも依存症の身の上である。たとえば、ぼくはアルコール依存症なので文字どおり飲むと酔いつぶれてしまうまで飲まないと収まらず、それこそ死さえ予感するひどい飲み方しかできない。なので、ここ9年間完全断酒を守っている。これからも断酒会通いを続け、シラフを貫く所存なのである。そんなことも話した。
昼休憩中、そして仕事が終わった後にLINEやWhatsApp、Telegramなどでクリスマスのあいさつ(あるいは「ハッピーホリデーズ」のやり取り)を交わす。過去、さっきも書いたがぼくの中にあるニヒリストの性格からそんな感じの挨拶というかお祝いが実に・まったくもって「しょーもない」「つまらん」と思っていた時期があった。新年なんてつまらない、クリスマスなんてなんぼのもんだ、と。そう思えば人生というのは謎というか、なんにせよいまは世界各国・日本の津々浦々の友だちとそんなことをシェアし合いたいなと自然に思えるようになった。こんな時期は忙殺されてしまうとはいえ、リアルやサイバースペース(ネット越し)の「この」つながりがこんな時期、支えてくれたり癒やしてくれたりするんだろうと信じる。Discordで、MeWeで、そしてさまざまなソーシャルメディアにて。
当時ニーチェなんか読んだ記憶なんてこれっぽっちもないが……そんな孤独だった30代、ぼくは強くならねば、超人にならねばとあせり(それこそおしりに火がついてしまっていて)、この発達障害のシビアな・タフな人生を1人で自己責任原則という美名のもと生きねばと思い込んでいて、でも稼いでいたわけでもなく発達障害が「治る」「寛解する」見込みもなかったので、日だけがむなしく過ぎていったことを思い出せる。まだジョブコーチとも自助グループともつながらせてもらえていなかった時期のことだ。父親のように稼いで家を建てられる見込みなんて皆無で、だからそれを思うと・それとくらべるとまさしく自分が「不肖の息子」で「ドラ息子」で、自分をひどく責めてますます酒が進んだのだった。ああ、なんたるか。だが、まあその後いろいろあって酒からも脱せて、いまでは自分はそんな「身のほど知らず」「非現実的」なことを夢見てつぶれては本末転倒だと思うようになった。それより、自分自身と世界のあいだに接点を探して、問題ある言葉を使うが「リソース」を利用して生き延びることを考えようと思うようにもなったのだった。それは福祉のシステムや人とのつながり(自助グループ、あるいは友情関係など)を意味する。ずるいだろうか。ずるいとするなら、ずるく生きるのは悪いことだろうか。
メリークリスマス。よい一年を!