跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/09/29 BGM: Oasis - Whatever

今日は休日だった。午前中は予定していた英語研究会のミーティングに参加する。そこにおいて、読み進めていたロアルド・ダール『マチルダは小さな大天才』という小説を原書で少しずつ読み進めていく(実にファンタスティックな、すばらしい作品と読むにつれて感服させられる)。ぼくは以前に自分なりに注意深く辞書を引き引き下調べ・予習をこなしていたものの、いざぼくが自分の読みを披露する段になりどう読み進めたか翻訳を披露し始めると(こんかい、ぼくたちが読んだパートは「帽子と瞬間接着剤」の部分だった)、すぐさまぼくのボロが面白いようにポロポロ露呈してしまう。細部をごっそり読み落としていたからで、だから他の参加者の方から実に手厳しいコメントを頂戴することとなる。ああ。もちろんそんな「アシスト」「指導」あって小説を多角的に読むことができ実に得難い経験をしたとは思ったものの、9月の終わりだというのに冷や汗をかいてしまった。

そのミーティングにおいていったん休憩していた際、ある参加者の方からぼくの英語についていったいどこで勉強してきたのかと質問された。それについて(こうした質問をされたら「いつも」迷って「空気」を読んでしまうのだけど)「実は早稲田大学にいました」と答えるべきかどうなのか考え込む。でも、バカ正直にそう答えるのもなんだか気が引ける。「いま」、ぼくは単なる勤め人でありしたがってもう早稲田とはなんの関係もない。それにこんな話、リアリティのかけらもなくむしろ作り話(詐称)めいていて他の方は信じないだろう(ぼくだってこんな田舎で「私は早稲田にいたんです」という人が現れてもただ間抜けヅラで「ほお」と答えるのが精一杯だろう)。だからといってこれは謙虚さのあらわれではない。いまはぼくはできるだけ過去のゴテゴテしたレッテルを捨てて裸になり、身軽になり「包丁一本サラシに巻いて」的なライフスタイルで英語を学びたいと思っている。カッコのつけすぎだろうか。スマホを一個、ポッケに入れて……。

ともあれ、その『マチルダ』輪読の会合が終わったあとグループホームの自室に戻ってそこで昼食を摂り昼寝をする。その後3時に、地元の歯科クリニックに行きそこで水曜日にとなり町の病院で「施術」してもらい抜歯した親知らずの痕を診てもらう。その後、用があったのでグループホームの本家に行った。そこにおられた副管理者の方とお会いして、水曜日のその抜歯の話と来るジョブコーチ面談の話などをする。その後ふたたび自室に戻った。夜までジャズを聴いてぼんやり過ごす。

夜になり、かねてより折に触れて・スキマ時間を見繕って読み進めていた沢木耕太郎の『無名』を読み終える。沢木が自分の父親と過ごした最後の日々、およびその父親の看取りなどについて記したもので実に素晴らしい作品と唸らされ、LINEなどで友だちにシェアする。するとある女友だちが沢木について彼が出演したYouTubeの動画があると教えてくれた。おそらく日本のテレビ番組の一部を切り出したものだろう(オフィシャルな動画だ)。それを観る[*]。沢木が語る「晩年を生きる美学」(日々をつとめて誠実にコツコツこなす生き方)に唸り、ぼく自身は過去にまだなにも成し遂げていなかった時期、いったいいつまで自分が生きるのか(生きてしまうのか)考え込んだことを思い出した。わかるわけもないのに。

いま、ぼくは49。なんでもかんでも若かった頃と同じように自由自在にとはいかないまでも、ともあれしたいことはできている。友だちと楽しい時間を過ごし、英語も学べている。早稲田はなるほどかけがえのない・貴重なことがらを教えてくれた。それは疑わない(ほとんどが忘却の彼方に過ぎ去ってしまったが)。だが、それはそれこれはこれ。ぼくはいまを生きて、いまの友だちを大事にしたいと思っている。

*「楽しめること1個を見つける」“晩年を生きる美学”作家・沢木耕太郎に聞く