とても憂鬱な雨の休日。病院でドクターの診察を受けたあと、グループホームの自室に戻る。健康それ自体には異常はべつだん感じなかったのだけど、気の持ちようとしてなにかしたいという意欲というかモチベーションをこれっぽっちも感じなかったので、もう今日はなにもしないでダラダラというかグダグダ過ごそうと肚をくくってベッドの上に臥せってすごす。だから英語のメモも書けず、早い話が英語の勉強それ自体もまったくサボってしまったのだった。
友だちがDiscordで興味深い試みをしているのが眼を惹いた。来月よりとあるグループでブッククラブ(読書会)を開きそこで本について語らうという。課題の本がマイケル・サンデル『実力も運のうち』だというのだった。午後はそんなわけで、主にこの本についてパラパラ読み返しベッドで伏臥したまま本の内容にぼんやり思いを馳せる。もちろん日本でもサンデル教授は有名人(インフルエンサー)であることは言を俟たないが、実は彼の本を読んだことはなかった。食わず嫌いというやつで、だから今回は実にいい機会である。
いま、そしてここ。これまで歩んできた人生を振り返り、いまの状況にもまた思いを馳せる。たとえばぼくは前にも書いたが早稲田というところに入り、いまは市内のある会社の片隅で働いている。これらは幸運によって舞い込んできたことがらだ(神なのかなんなのか、議論の余地はあるだろう)。サンデル『実力も運のうち』はそんなぼくにまつわることがら、ぼくたちの人生を構成する要素がどう豊富な「奇跡」によって成り立ちうるかを綴る。もちろんぼくたちはそうした「奇跡」に甘えないでぼくたち自身の目的を果たすために努力を欠かさない(レモンを与えられたらひたすらレモネードを作りなさい、という言い回しを思い出す)。
あしあとを振り返り……そしてそこに無数の、実にたくさんの「奇跡」がありえたことを思い出す。この世に生まれてきたということがまず1つ(ぼくが1度たりとも願ったことのない、願いようがない、そんな「奇跡」だ……とりわけ、こんな発達障害的な脳を持って生まれ落ちるなんてことは)。両親、クラスメイト、大学、会社。チャンス、あるいは運によってそうした要素はたぶんに与えられたとも言えるだろう。もっとこの世に生まれた僥倖、あるいは自分の中にある命の焔を感謝するためにこのことを考えないといけないとも思った。
夜になり、昼間の延長でまだベッドで寝そべりまったり~と澤田直『フェルナンド・ペソア伝』をめくって時間をつぶす。こんなからっぽな、完全に怠惰というかなんにもやる気も読む気もしない1日はぼくはこのポルトガルの奇妙で実に魅惑的な、カリスマ的詩人ペソアの浩瀚な1冊『不安の書』(邦訳もある)をめくって過ごす。そう言えばDiscordである知り合いの方にぼくの日記に見られるぼくの書きぶりがペソアに似ていると言われたっけ。ぼくにはどうなのかわからないのだけど、もしそう見えるとしたらこれもまた「奇跡」そのものだ。とてもありがたい「奇跡」……。