跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/09/27 BGM: New Order - Fine Time

今週のお題「ちょっとした夢」

Matilda

Matilda

Amazon
今日は遅番だった。今朝、いつものようにイオンに行く。そこで、今日は来る日曜日に行われる英語研究会の会合で輪読することになる2つの記事・テキストを読み込むことで時間を過ごした。1つはロアルド・ダール『マチルダは小さな大天才』という小説の一部分で、もう1つは英字新聞の記事。記事の内容はバイデンが選挙戦から降りるというもので、古い記事ではあるがこれも容易に読み飛ばせない旨味を備えていて考えさせられる。ジーニアス英和辞典を引き引き、注意深く読み込んでいく。

そうしたテキストを読み込み……すると心が広くなるというか、流行っている(?)言葉で言えば「耕される」のを感じる。思い起こせば大学にいた頃、英文学を学ばせてもらえるという実に得難い・ありがたい環境にいたにもかかわらず当のぼくときたら非常にバチ当たりなことに怠惰のせいでぜんぜん勉強に身が入っていなかったのだった。そうした記事を読み込みつつ思い出したのは、そんな若造の頃のぼくが村上春樹島田雅彦にあこがれたりして文学や翻訳に手を染められたら、翻訳で食っていけたらとさえ考えたりしたというものだった(ナメていたなあ、といまならわかる)。でも、結局英語の勉強を親身にやっていたなんて口が裂けても言えないのである。興味があったのはただ、どうこの人生を死ぬまで耐え抜くか・耐え抜かないといけないのかということだった。いま・ここから振り返れば、ぼくはいい環境にいて恵まれていたのだとわかる。なにせ早稲田というところに(なにかの間違い、あるいは奇跡で)在籍していたのだ。でも、あまりにもわがままで自己中心的だったぼくは目を開いて外部を見ることができなかったのだった。

卒業後、就活で大失敗して挫折を味わったぼくはそのまま20代・30代を飲酒でつぶすことになる。そして40の歳になり、たぶんここでおしりに火がついたからか「英語をやり直そう」と本気で考えるようになったのだった。いまや、ぼくのまわりにはたくさんの友だちがいる。実に敬虔な英語学習者の方々が目的・大志を持って英語を学んでいる。彼ら・彼女たちとつながらせてもらうことでぼく自身も一時はあきらめていた「夢を持つこと」「未来を見ること」を真剣に考え直せるようにもなった。翻訳・通訳のボランティアをこなせたら、そしてこの町と世界をつなぐ存在になれたら、というような夢を。

過去、とてもぼくが良くも悪くもギラギラしていた頃、それこそぼくはカリスマになりたい、世界をあっと言わせたいと思っていたことを思い出す。とりわけ村上春樹のようになりたい、あんなふうに大活躍してみんなが認める存在になれたらと(いや、春期はいまでもぼくの「カリスマ」だ。春樹が「いま」なにを考え、なにを見据えているかはぼくにとって大きな関心の的だ)。そんなことを考えるのはぼくがまだ若すぎて春樹のメッセージをなんにもわかってなかったということなのかなあ、だから嫉妬ばかりが先走ってしまい虚心に読めなかったのかもしれないなと思う。いや、嫉妬や煩悩、妬みやそねみならいまでもある。ありすぎるくらいある(ぼくは聖人君子ではありえず、煩悩のかたまりのような男だと思う)。でも、それでもちょっとばかりは成長できたってことなのかなあとも思う。それが人生かなと。