跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/08/27 BGM: Scritti Politti - Absolute (Version)

昨日の話の続きをすると、ぼくは1975年に生まれた。13の頃、中学校に入学してから本格的に英語を学びはじめるようになる。それ以来、ざっと振り返っても生徒としてあるいは市民として英語学習に手を染め、そのようにして英語と自分の生活を接続・密着させて生きてきた。具体的に言えば、高校を卒業してのちにぼくは東京のとある私立大学でアメリカ文学を学んだ(世間知らずの若僧だったぼくは当時すでに村上春樹柴田元幸といったカリスマにイカれていたので、彼らのような紹介者・伝道者になりたい、翻訳を手掛けたいと夢見ていたのだ)。その後夢破れてアルコールに溺れてエラいことになってしまったのだが、いろいろあり40に断酒に成功してからプライベートで英語をやり直そうとふんどしを締めなおしたのだった。

こうやって書いてきたことはあるいは怪訝に思われるかもしれない。というのはこの島国日本では、日本人は総じて長い時間教育課程で英語と関わることが要請されるとはいえぼくも含めた人々の日常言語は基本的には日本語であってその日本語がそこそこ使えれば英語をムリして学ぶ必要なんてないとも言えるからだ。いやもちろん、これは人にもよるだろう。だが少なくともぼくに限って言えばぼくも日常生活では(つまり、いつも参加しているZoomミーティングなどを除くと)英語は文字どおり「ぜんぜん」話さない。だったら、そんなにまでして(強迫観念というかプレッシャーに追い詰められているがごとく)学ぼうとする必要なんてないはずなのである。

だから英語仲間、あるいは親しい友だちはこんなぼくを真面目だと褒めてくれる。いやもちろんそれは非常に貴重でありがたい褒め言葉だ。でもこれはたぶんに過去のトラウマが原因なのかなあ、とも思う。学生時代、独りぼっちでいじめやミスコミュニケーション、いじりに耐えて生きるしかなかったぼくは友情やロマンスに飢えていて(「枯渇感」というか、文字どおり水を求めて乾いたのどを持て余すような感じだった)誰かとコミュニケートしたい、仲良くなりたいと思って苦しんだのだった。そんな感覚がまだ残っていて、人恋しさや苦しさに直結するのだろう(だから悪く言ってしまえばぼくも「かまってくん」「ガキンチョ」のままだ)。

この日記でも書いてきたが、ぼくの考え方に影を落とした(影響を与えた)人はたとえば村上春樹ウィトゲンシュタインといった、たぶんに発達障害的・自閉的な感覚を強く持ちそれゆえに他人とのコミュニケーションの可能性を深く深く掘り下げて問い詰めて作品に昇華させた人たちだ。もちろんぼくは彼らの足元にも及ばないただの凡夫であるだろう。だが、こうして日常的に行われるコミュニケーションには(ほぼ)無限の可能性がありうるとは思う。だから探求する価値があるとも。10代のころはぼくはもう、他人を理解することもあきらめ(だから恋することも恋されることもあきらめたのだった)。でも、いまはこうして努力をやめない。学ぶことはぼくにとって、世界を愛することなのか。いや、さっきも書いたがコミュニケーションが万能かどうかは議論の余地もあるとしても。