跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/21 BGM: Soul II Soul - Back To Life

今日は遅番だった。今朝、ある中国の友だちがぼくにWeChatでメッセージを送ってくれた。それで少しばかり英語で話をすることとなった。彼女は面白い言い回し(慣用句)を教えてくれた。「the leap of faith」、直訳すると「信じて飛ぶ」。もちろんこれだけだと「なんじゃそりゃ」なのだけれど、ぼく自身も実をいうとこの言葉は実に初耳だったのでググってみた。何かを勇気を持って(蛮勇を奮って)、結果・見返りを過度に期待せずに行うことというのが骨子となろうか。だというのなら、ぼくの人生もこういう「信じて飛ぶ」試みの繰り返しだったということになる。とても有意義な、面白いレッスンをしてもらったと思った。

そして、これはもしかしたらそんな「信じて飛ぶ」行動のいい例かなと思うことが1つ……彼女とそんなふうにチャットをしたあと、何か読んだりあるいは英語でまたもやメモを書いてみようかと思ったりしたのだけれど、なぜかフラストレーション(不満)を感じて考えが妨げられてしまい、身が入らなかった。なのであきらめてイオンの中の未来屋書店に行ってみることにしたのだけれど、その未来屋書店で有名なベテラン翻訳家の池央耿の文庫本『翻訳万華鏡』を見つけた。勘がささやく・そそのかすままにそれを買ってしまった。

思い出してしまった。過去に、村上春樹に憧れて一挙手一投足・立ち居振る舞いを熱心に追いかけ猿真似さえしていた頃、その村上春樹や彼の盟友(?)柴田元幸に憧れ彼らのようなプロの翻訳家になりたいと(実に身の程を知らない・恐ろしい)夢想に浸っていた時期があった。大学生の頃、住んでいた東京で行われたとあるプロの翻訳家の方の小さなセミナー(イベント?)に出席してみたこともあった。いや、結局ご覧の通り夢物語で終わったのだけれどそれは時間の無駄だったとは思わない。思いたくない。

こう考えた――いまでも、その夢を追いかけられるだろうか? まだその翻訳をしたいだろうか、仕事の一環として(いや、さすがにフルタイムでというのは虫が良すぎる・甘っちょろい考えであることくらいわかっているのだけれど)。もちろん翻訳するにあたっては素材を見つけ出さないことには始まらないので、その「見つけ出す」作業に多大な努力を支払わないといけない。あるいは別のものを翻訳するにあたって見つけ出すことが肝要となろう。ああ、発達障害的なぼくの頭はいまアクティブに・向こう見ずに動き始めている。でも急ぎすぎてはどうしようもないことも確かだ。焦りは禁物。

いま、過敏に感覚が働きすぎているようでそれでいろんなこと(おおよそあらゆること)がメッセージを送ってきているように感じられる。なんだかアブない表現になってしまったけれど、いろんなことがいちいち気になって無視できない。でも、こういう時こそリアリストにならないといけない。いまや人工知能の時代。何でもそういう人工知能はかんたんにこなしてしまうのだ。ぼくのようなヘボい語学力の持ち主は「お呼びでない」という可能性も多々あるだろう。再考が必要だ。