ぼくが村上春樹の文学と出会ったのは16歳の頃で、それから30年以上(ブランクも挟むけれど)一緒に走ってきたことになる。ここまで付き合いが長くなるとは思ってもみなかった。あの頃、つまりぼくが10代の頃夢中になった作家でこんなにまでも付き合えている作家というのは文字通り皆無だ。角川スニーカー文庫などのライトノベルを読んだり、金井美恵子や島田雅彦に手を伸ばしたりもしていたものだけれど……ただただ生きづらかった10代、酒に呑まれた20代、そして死にかけたどん底の30代を通して再生への足がかりを得た40代。そんなぼくの半生を春樹は『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』や『1Q84』といった作品と一緒に並走してくれた。だから、ぶっちゃければ彼がノーベル文学賞を獲ろうがそんなことはぼくの生活には関係ないことだ。ぼくにとっては常にグレートな作家であり続ける。これからだってきっとそうだ。いや、もっと春樹よりもグレートな作家がこの世界には山ほどいるということもわかっている。ぼくの中の批評家的な勘・センスに照らし合わせて言えば、ぼくは大江健三郎や古井由吉、もっと古い作家なら夏目漱石や谷崎潤一郎が残した小説の方が春樹よりも偉大だとも思う。だけれども、それは批評家好みの話でありすぎる。つまり、ぼくの個人的な実存/来歴に根ざした話と切り離した話ということになる。
過去にネットで、ぼくは自分自身の現実を糊塗しよう、イケてる自分を演出しようと小賢しい(そして途方もなく愚かしい)ことを考えてあれこれ足掻いたことを思い出す。いかに自分がすごいか……その一環として春樹を含めた作家についていっぱしの批評家気取りでこき下ろしたりしたこともあった。アホだったとしか言いようがない。かと思えばワーキングプアを気取ってひとくさり政談をぶってみたりもしたなとも思い出す。いまはそんなことに関心を持たない。いや、だからといって人のことまでとやかく言うつもりはない。ぼくはただ、ぼくの人生を生きたいと思うのみだ。でも、こんな風に恬淡と(だと思う)構えられるようになったのもFacebookやリアル、DiscordやMeWeで友だちと触れ合えているからだ。1人だとぼくはろくなことを考えられていなかったはずだ。春樹が『風の歌を聴け』の冒頭でコミュニケーションについて語っていたのを思い出す。ぼくは彼の作品とは、それがどれだけスノッブに「高みの見物」で世を見下ろして気取っているように感じられるかもしれないにせよ、本質的には「どう人や世界と関わっていくか」について主張したものなのだと受け取る。ゆえに彼の作品に興味を持ち、読み返し続けている。
「人と関わっていくか」……人との関わり合い、触れ合いとは決して甘美なことばかりを意味するわけではないだろう。いや、難しい話ではなく人はケンカだってする。絶交・絶縁・裏切りだってありうる。でも、それでも人とコミットすること、つながることを止めてはいけないのだろうと思う。そんなことを考えているとまた『街とその不確かな壁』や、春樹の別の作品を読み返したくなった。あるいはそれこそディケンズ(実はまだ読んだことがないのだ)やトルストイ、フローベールなどを。ああ、今日はもっと他に書きたいことがあったのだった。『ギフテッドの光と影』に関心を持ったきっかけ(骨子だけ書くと、ぼくのIQは130超えをしていないので「ギフテッド」とは言えず、ゆえに「自分は『配慮される側』『配慮してもらえる側』には回れないのか」と一時期絶望したというような話)、あるいは自分が発達障害者とわかったきっかけ、などなど。まあ、こんなこともある。春樹のみならず多和田葉子についても、あるいはもっとたくさんいる「ノーベル文学賞級の日本作家」「海外文学で、もっと日本で広めたい作家」についても書きたかった。でもこれらについても、また今度の機会にしたいと思う。