跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/09/27 BGM: Blur - Mr. Robinson's Quango

ぼくの参加している「発達障害を考えるグループ」が近々ウェブサイトを開設することとなった。それで、ぼくを含めたウェブサイト作成班のメンバー同士で親睦を深めて今後どのようなサイトを作るのか話し合うべく今度の土曜日ZOOMでミーティングを行うことに決まった。その席で、ぼくたちはあらためて自己紹介をしてサイトでどのようなコンテンツを発表したいのか話すことになる。今日は遅番だったので、朝の空いた時間にぼくはその自己紹介のためのドラフト(下書き)を作った。自分がどんな人間で、どんなことに関心を持つのか……こんなことを考え始めたのは、実はこれは別件になるのだけれど今日「自分でもPodcastを収録できないだろうか」と思い立ったからでもあった。つまり、サイト作りの会議とPodcastでの自分語りと両方であらためて自己紹介して、自分について語る必要性を感じ始めたということだ。いったい自分がどんな人間なのか……これまでずっとぼくは「ぼくは発達障害者で、日本人で、読書が好きで……」とワンパターンに自分自身のことを押し出してきた。でも、ここでいったん整理し直して自分を見つめるのも大事なことなのかもしれない。そうすることによって自分を深く知ることはムダではないだろう。

自己紹介で話したいこと。いったい自分は何者なのか……と書くと抽象的になりすぎるだろうか。なぜ自分は英語を勉強しているのか、発達障害者とわかったのはいつのことか、なぜ本を読むのか。もっと他愛のない話をするのもいいだろう。好きな食べ物や音楽について、などなど……そもそもなぜPodcastを録ろうかと思ったのかと言えば、たまたま面白いPodcastはないだろうかとあれこれ探していた時に「越読る」というPodcastを見つけ出したのがきっかけだった。ぼくが聞いたのは(と言っても1度だけサラッと聞いただけなのだけれど)多和田葉子『エクソフォニー』についての回で、聞かせてもらいながら「こうして、自分が読んだ本や近況について『語る』のも面白そうだな」と思い始めた。こうしたPodcastはぼくはバイアス(偏見)を持っていて、何か瀟洒なBGMがないとサマにならないのではないかとか思っていたのだけれど何はともあれ低予算で気軽に始められるものでありそうだと思ったので、今度時間が空いたら10分くらいしゃべってみるのも面白そうだなと思った。そこで、あらためてこの「踊る猫」の日常について話し、自分が最近読んでいる本についてもお話しできたらいいなと思った。

open.spotify.com

ぼく自身のことを思い返してみる……そもそもなぜぼく自身が発達障害という自分自身の障害(あるいは個性)と向き合って生きることに決めたのか。そしてそれをオープンにして、職場でもジョブコーチの利用などを試みたりするようになったのか。プライベートでもこうして自分の障害特性を公表して、それ以外にも読書の感想をシェアしたりして外に対して自分自身を表現し続けている。それはたぶんぼくにとって、生きるということが常に謎だらけの体験を強いられることであったからだと思う。なぜぼくはこんな変なぼくなのか。変だとしたら、なぜそのことでここまで責められなければならないのか……そんなふうに子どもの頃から自分自身と向き合うこと、反省することを強いられてきたのでこんな風に内にめり込んでいく考え方が芽生えたのだと思う。そこから、「自己とは何か」「他者とは何か」「世界とは何か」といったことへの関心が生まれてきた……それはそして、柄谷行人村上春樹を読むようになったいまでも続いている。英語を学ぶのも本をたくさん読んでしまうのも、そんな動機からだ。それはそうと、そのPodcastのタイトルはどうしたらいいだろう。いまブラーの『The Great Escape』を聴いているのでそれにあやかって「とんずら倶楽部」なんて名付けようかなどと考えているのだけれど……。

ザ・グレイト・エスケープ(紙ジャケット仕様)

ザ・グレイト・エスケープ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:BLUR,ブラー
  • EMIミュージック・ジャパン
Amazon
休憩時間、ふとスマートフォンでネットサーフィンをしていて「マイクロアグレッション」について書かれているサイトを読んだ。海外の人に対して闇雲に「日本語が上手ですね」と褒めてしまうことの是非についてだ。多和田葉子『エクソフォニー』の中にもこんな話題が出てきていたっけ。でも、これは一筋縄ではいかない難しいテーマだと思う。確かにネイティブの立場から「日本語が上手ですね」と言うことはどこかで「(私が理想とする)日本語話者として『認める』」みたいなニュアンスが生まれてしまうのかもしれない……とも言えば言えるのかもしれないけれどぼくはそこまで「うがった」見方をしたくないのだった。海外の人が努力して、時間をかけて向き合って学んだ日本語のそのスキルに対して素直に驚嘆の念を示すことを無碍に否定したくない、と。これは痛し痒しあって、どっちが一方的に悪いとかそんな話ではないのだろうとも思う。そう思うと、国際問題というのはなかなか面白い。こんなこともこれから行うPodcastで話せればいいかな……とすっかり「やるっきゃない」な気持ちになってしまっているのだった。ともあれ、今度の会議はどんな展開になるのだろう。これに関しても「やるっきゃない」。

gendai.media