2022/07/24

BGM: John Scofield "A Go Go"

休みだった。朝、図書館に行き多和田葉子の本を2冊借りる。そのうちの一冊『言葉と歩く日記』を読み始めたのだけれど、ジュディスさんがclubhouseでルームを開いたというのでそちらに入らせてもらう。いつものように日記を朗読して、その後本に関する話をする。どうやって本を選んでいるかについて訊かれたのだけど、これは答えるのが難しい。読書メーターや友だちのツイートなどを参考に選んで、あとは自分の勘で読んでいる。多和田葉子の本にしても「今」自分に必要そうな本だと判断したので、つまりは勘やインスピレーションが関わってくる問題なのだと思う。

いつも本を読むにあたって私は音楽を聴くのだけれど、『言葉と歩く日記』の雰囲気は意外とヒップホップが合うのではないかと思いジャングル・ブラザーズを聴く。両者に通じるのは一種の「猥雑さ」なのだと思う。もっと言えば「雑食性」なところだ。だが、この表現は肯定的には響かないかもしれない。多和田は「美しい日本語」など信じてはいないだろうが、しかし端正な日本語を駆使して果敢に俗語表現についても考察を深め、それを自身の内に取り込む。この勇敢さを「雑」という言葉で表現したいのだが、それは褒め言葉には響かないだろうからもどかしい。

「雑」という言葉の対義語は「純」でありうるだろうけれど、そう言えばはてなブログ界隈では「純日記」という言葉が生まれているのだった。ストイックに日々起こったことをベースに書く、その有り様が「純日記」という言葉で表現されているのだと思うのだが、私は「雑日記」の可能性を擁護したい。「雑」に、あるいは「雑食」で何でも起きたことを取り込んで「日記」にするそのたくましさを。「雑日記」とは粉川哲夫の言葉だが、犬や猫を見ていても強いのは「雑種」なのである。私も自分の思想信条は務めて「雑種」をキープするように心がけている。

昼にグループホームの施設長の方とお会いする。そこで私の悩みについて話させてもらった。女性を求める心理について……むろん解決したわけではないが、私の悩みが他者に理解可能/共有可能であること、わかってもらいうるものであるが判明してそれが嬉しかった。その後イオンのフードコートに行き、スマホ経由でInstagramの私のページをいじったり同じ多和田葉子『エクソフォニー』を読んだりしつつ時間を過ごす。片岡義男の日本語と英語に関するエッセイも読みたくなってきたのだけれど、『英語で日本語を考える』は絶版みたいなので「さてどうするか」と考えあぐねてしまった。