犬は吠えるがキャラバンは進む

The Dogs Bark, But The Caravan Moves On.

2022/07/25

休みだった。月に一度の通院日。また昨日のようにジュディスさんがルームを開くかと思ったのだがそうでもなかった。本の話をしたかったのだけれど、まあそういうこともある。先生に私の近況を話す。女性をめぐる問題について、グループホームの施設長の方に話を聞いてもらえてありがたかったことなどを話した(ここのところずっとこの問題で私の頭はパンクしそうだ)。それで診察を終え薬をもらい、イオンに行き片岡義男『日本語と英語』を読み返す。この本はコンパクトだがなかなか侮りがたい本だと思っている。

片岡義男はインデックスカードに自身が思いついた日本語と英語の面白い表現、違和感を覚えた表現をメモしておくらしい。そしてそれを忘れるという作業を経て、再び読み返しそのメモの意味について考える。つまりここでは様々な英語話者もさることながら、過去の片岡が他者として現在の片岡の前に現れる。そうして自分の中に他者性があることに鋭敏になることによって、彼の創作活動はよりクリエイティビティを増す。そんなことを考えた。私自身、彼に倣ってインデックスカードを使ってみたこともあった。結局はメモパッドに戻ってしまったが。

その後、途中で止めてしまっていた多和田葉子『エクソフォニー』を読み終える。「母国語の外へ出る」という意味を持つこのタイトル。だが、彼女が果敢なのはどんな「母国語」をも持たずむしろ言葉と言葉(日本語とドイツ語)の間で迷おうとしていることではないかと思った。外国語で書き記すと、母国語で考えている時についつい課しているタブーを破ってより過激に、より正直に書きうるというところが気になった。確かに私も英語で書いていると自分自身が何を考えていたか明瞭になることがあるからだ。自分の中の書きにくいことを英語で書くべきかもしれない。

夜、またしても卑猥な欲望に悩まされる。そして、ふと「このことを書いてみたらどうだろう」と思い至った。プロットなど組み立てず、先がどうなるかまったく計算することなく「今」思っていることをムッシュムラムラと書いてみてはどうかと思ったのだ。それで、自分自身の性にまつわる思い出を書くことにした。際どい内容だったのだが、一部の方からは興味深く読んでもらえたので嬉しかった。さて、それを一般的にどう公開したらいいものか迷っている。読みたい、という奇特な方はぜひ私にお知らせいただければと思う。