跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/14

ジョニ・ミッチェルの曲のことを考えた。「青春の光と影」という邦訳で知られている曲だ。例えば雲は一方では空に浮かぶアイスクリームのようで素敵な外見を持つ存在であり、もう一方では私たちの生活を邪魔する雨を降らせる存在である。そうした二面性を備えているのが雲である。人生も同じで、いいところもあれば悪いところもある……というようなことを歌った曲だ。この哲学的な歌詞は、今の私の心境にピッタリ来る。誰についても、どんなものについても、捉えようと思えば色んな捉え方ができるし、それらは時に矛盾しているかもしれない。

R.E.M.は「ルージング・マイ・レリジョン」の中で「人生は大きい」と歌った。確かに、私の今までの歩みを振り返ってみても人生とは本当になにが起こるかわからないカオスだと思う。宮台真司は「世界はそもそもデタラメである」と語ったが、私たち人間のせせこましい思いを越えて人生は思いも寄らない展開を見せる。ああ、今の幸せ……自分のことを大事にしてくれる人が現れ、自分も人を大事にしたいと思うようになった。それ自体が奇跡のようなものだ。諦めてはならないのだな、と思った。世界のデタラメさ、人生の大きさを信頼しないといけない。

大岡昇平『成城だより』を読み進めるも、眠くなってきた。最近、夜中になると本当に眠くなるのが早い。このままだと読み終えられないまま図書館に返すことになりそうだ。『成城だより』を読んだらなにを次に読もうかと考えている。取り敢えず夏目漱石の『明暗』を読もうか……沢山読んでいると思われるかもしれないが、そんなことはなくて偏りが激しい読書をしてきたので威張れたものではない。それに、私は自分の内なる声に従って本を読んできたので本を読むことは祈りにも似ている。実に個人的な、誰とも比べられない作業だ。

英語と日本語の違いについて、また書いてみたいなと思っている。片岡義男がやったように日々の生活の中で自分が不思議に思った日本語と英語の言い回しを拾って、それについて書けたらなと思っているのだった。ウィトゲンシュタインを齧ったからか、私は言葉とコミュニケーションについてこだわってしまう。なぜ言葉は通じるのだろう。なぜ私が「今日のご飯は美味しい」と語ると、日本食を食べることのない外国人も「美味しそうだね」と言うのだろう……と考えてしまう。善は急げ、で片岡義男がやっているようにインデックスカードを作った方がいいのかもしれない。