今日は遅番だった。朝、図書館に行き村上春樹『うずまき猫のみつけかた』と『神の子どもたちはみな踊る』を借りる。ここ最近片岡義男を読んでいたからか、アメリカ文学やその文学に強く影響を受けた文章に食指が動くようになった。私自身の文章も多分にその片岡義男や村上春樹、柴田元幸といった人から影響を受けているはずで、過去に村上春樹のように書きたくてずいぶん猿真似をして短編小説を書こうと試みたのを思い出す。『うずまき猫のみつけかた』を読み始めて、かつて村上春樹と出会った頃のことを思い出してしまった。高校生の頃、ひょんなことから出会った『1973年のピンボール』がきっかけとなって『ノルウェイの森』を読み、それにハマったことから村上春樹との付き合いが始まったのだった。爾来彼の書くものを追いかけ続けて30年になるだろうか。
なぜ春樹の書くものがそんなに私に訴えかけるのだろうか。そして、いったい春樹の書くものにどう自分は影響を受けてきたのだろうか。私が村上春樹や片岡義男を好んで読むのは、そこに曖昧な部分がないからである。彼らの書くものはいつも明晰で、言葉を濁して空気を読ませようとする妙な圧を感じない。そこが私のような「空気を読めない」人間にはありがたい。私自身、自分の書くものにおいて常に自分の意見をはっきりさせたいと思っている。「文明とは伝達である」とは村上春樹『風の歌を聴け』の中の一節だが、春樹の書くものに触れて私自身そうして広くコミュニケーションについて考えてきたと思う。それはつまり自分と他者との関係について考えることでもある。いったい自分とは何者か、他者とは何者か。
『うずまき猫のみつけかた』を読んでいて、春樹が海外生活を続けていることで彼の日本語が変化したか考察しているところがあったことが目を引く。私自身はどうだろうか。私は英語を学んでいる身だが、その英語学習が私の日本語にも影を落としていないかと思ってしまう。英語は論理的な言語だと言われる。私の言葉も論理的な性格を勝ち得ているのだろうか。わからないけれど、まったく影響を受けずにいるとも考えにくいので何かしら日々変化はしているのだろうなと思う。英語で日記を書くことでそこから学んだものが「フィードバック」されて私の日本語に影響を及ぼしている、と考える。そう考えると楽しくなる。その変化がよりよい方向に働いていること、よりオリジナリティあふれる文体を作り出していることを願いたい。
十代の頃、まだ何も知らなかった自分は春樹に憧れを抱いた。彼のようになりたいと思い……そうして憧れていると、不思議と人はその憧れた通りの人間になっていくものなのかもしれない。今は私もジャズに親しんだりアメリカの文学を読んだりして、ハードボイルドな(?)ハルキストの人生を歩んでいる。もっともこれは私が実に「染まりやすい」人だから、感化されやすい人だからというのもあるのかもしれない。関東に住んでいた頃、私の日本語は関東弁の「訛っていない」とされる日本語になってしまってびっくりしたことがある。私とはそうして、絶えず周囲の影響を受けて変わってしまう存在である。その変わることこそが学び続けること、他者と交流することの醍醐味なのだろう。