人生は上々だ

Life is good.

2022/08/12

BGM: R.E.M. "Shiny Happy People"

今日は遅番だった。朝、時間があったので片岡義男『あとがき』を読む。そのタイトルの通り、片岡義男がこれまで書いてきた膨大な書籍から「あとがき」だけをピックアップして集成した1冊だ。実に多彩な「あとがき」が存在することに驚かされる。エッセイ的な身辺雑記からダイアローグ形式のあとがきまで。初期の硬派なエッセイや批評から、円熟期に彼が数多と書き記してきた小説を経て近年の達成に至るまで。だが、そうして彼のダイナミックな変遷をたどればたどるほど、彼が本質的に「変わらない」作家であったことを確認することができる。

片岡義男は小説やエッセイにおいて「彼女」を設定することがある。この「彼女」とは誰なのだろう。もちろん、実在する誰かではなさそうなので彼の分身であると考えることもできる。安直に考えれば、彼の分身であるということはまったくわけのわからない「他者」ではないということになる。だが、片岡はそんな自分自身の分身と真摯に対話し、そこから思考の端緒や小説的ドラマを引き出そうとする。つまり彼はそうして対話することによって自身の真の「他者」と向き合おうとしている、と見なせる。このあたりもっと深く考えてみたい。

今朝も不安定な気持ちに囚われてしまった。朝、Discordで傍迷惑なメッセージを書いてしまったりして、取り乱してしまった。ただグループホームを出て仕事場近くのイオンのフードコートに行きそこで本を読んでいると、次第に気持ちが落ち着いてきた。朝、どのように時間を過ごすか未だにはっきり結論が出ていない。本を読むのだってそんなに1日中読み続けられるわけではない。本に関するエッセイを書くとか、自分の中のダイアローグを片岡義男みたいに書き出してみるとか、そういうことをするのもいいのかなと思った。

結局、昼までポール・マッカートニーのソロ・アルバムを聴きながら過ごしてしまう。片岡義男の書くものもどこかポール・マッカートニーの曲に似ていると思った。生きることと創作することがごく自然につながっていて、いわば呼吸をするように何物かを作ってしまうというのがポールと片岡義男の共通点なのだろう、と。私も自分自身の内側にあるものを形にするべく、「本を泳ぐ」というタイトルで書評を書いてみるのも面白いかなと思い始めた。まずは片岡義男の『本を読む人』と『あとがき』について書評を書いてみたい。