跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/10

BGM: Fatboy Slim "Praise You"

今日は休みだった。朝、知人ともうひとりの方とジョブコーチのことで近所の喫茶店で話し合う。ボサ・ノヴァが流れる中、私たちは職場で生じている問題について話し合い、そこからいろいろ案を練った。ジョブコーチとして入って下さる予定の方も、もうひとりの方も私の悩みごとを親身に聴いて下さったのでそれが嬉しかった。私たちの関係を「チーム」と形容しておられたのが印象的だった。私には味方がいる。いつも職場の中で(あるいは仕事が始まる前に)心細い思いに囚われてしまうが、確実に私のために尽力して下さる方が居られることを知り、それが本当にありがたかった。

ああ、思えば子どもの頃から私はずっといじめに遭ってきて、そのせいで人を頼ることがとても下手なのだった。今もグループホームの管理者の方やミーティングでつながっている方にもSOSを出すのが下手で、友だちからも絶交されたこともあって……ただ、そうした数え切れない失敗から(何度失敗したことだろう!)私は「どんな時もまず自分がしっかりして、自分自身を助けること」を学んだような気がする。抽象的な言い方になるが、自分自身をシラフに保ち、そして他人に適切に困りごとを伝える。そうすることによって相手が私のために動くことが可能となる。そういう「自助」と「他力」の両立を学んだのではないか、と。

午後、『片岡義男エッセイ・コレクション 本を読む人』を読む。片岡義男は読書を「対話」と形容する。自分自身との「対話」だ。私自身もその言葉に賛同する。本は書いた著者の思考をなぞることによって著者と「対話」することであり、そして自分自身から生じる他者性と向き合うことでもあるので自分自身との「対話」でもある。どちらにしても、「この私」とは違った存在の声に耳を傾けること、そこから2人以上の人間の声を響かせてそのエコーから何事かを学ぶこと。それが読書の要諦なのではないかと思った。片岡義男の書くエッセイからは彼の力強い肉声が聞こえてくる。

夜、断酒会に行く。断酒して7年になるが、今でも職場でチューハイの入った缶やイカフライのパックを見ると酒をイメージする。そして「呑みたい」とも思ってしまう。だからこそ断酒会に行く意味があるのだった。夏はまだまだ続く。人並みに呑めないのは確かにつらいことでもある。だが、一度呑んでしまうとまた地獄のような「呑んだくれ」の日々に戻ってしまうことになる。自分がどんな地獄を見てきたかをこの断酒会ではいつも確認しているように思う。そこから7年。ファットボーイ・スリムのアルバムのタイトルを思い出す。「You've Come A Long Way, Baby」。