跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/19 BGM: Fatboy Slim "Because We Can"

朝、かかりつけ医に会いに病院に行く。ジョブコーチのことなどを話し、薬を処方してもらう。精神科にかかるようになったのは大学生の頃のことで、思い起こせば鶴見済の影響で、その時は努めて軽く「薬があればラクになる」「薬で脳をチューニングすればラクチンに生きられる」と思おうとしていたのだった。でもそれは間違っていたと思う。どんなに強い薬をもらおうが、私が主体的に自分自身の問題と向き合い、認めて付き合っていく意志を持たなければ無駄に終わる。私の場合はそれは発達障害である。そしてそれは一生続く類の問題となってくる。そう、一生だ。

昼、昼食を摂る。Twitterを眺めていたのだけれど、ある発達障害者のインフルエンサーが「発達障害者こそが日本を牽引する」という内容のツイートを連投していた。私はこれは悪手だと思う。現実的に考えれば私たちの脳はニューロダイバーシティ(さまざまな脳がありうる)という概念から受け容れられるべきではないか。誰もがその人としての尊厳を得られるべきであり、ただ社会生活に支障を来す人だけが「発達障害」として見なされるべきだと。私たちを「この人は定型発達」「私は発達障害」と区分けしていくことは両者を分断し、いたずらに対立を煽ることになりかねない。対立は何も生まない。「きれいごと」だろうか?

https://twitter.com/mirailist/status/1604662771781550080

昼寝をした後、月一で私たちが行っているミーティングのために西光寺に行く。そこで先月の話題であった性同一性障害について語り合い、私が多様性の話として私自身の発達障害の話をする。外部に「私の発達障害を認めて下さい」と訴えかけるのも大事だが、私自身がその障害を固有のものとして引き受け認めていく姿勢を持つことも必要だ、それこそが(この言葉はふさわしくないかもしれないけれど)「内観」「内省」となり人を育てる……という話になった。私自身、どうしてこのように自分が生まれたのかわからない。参加者の方の言葉を借りればそれもまた運命的なものだったというか、「ご縁」があったということになるのだろう。すぐれた文学・哲学はそうして生まれてきたのではないか。

夜、片岡義男『日本語で生きるとは』を読む。日本人として私は生まれ、日本語を空気を吸うように吸収してきた。だが片岡義男はそうした学びは「人工的」と語る。ほぼ無限回にも近い回数の試行錯誤を繰り返すことによって学ばれた言葉が私自身を作っている、と。英語を学ぶことにも同じことが言えるはずだ。片岡は私が世界と適切に向き合うための言葉として日本語を「学び直す」ことが重要と説いているように思った。他者からの眼差しや意見を受け取り、私自身が能動的にコミットしていくための言葉として日本語を見直す。それは私が日本人として生まれた宿命を引き受けて、この国にまつわる諸々を(平和憲法などを)選び直すことが肝要だとも読めそうに思う。読み過ぎだろうか。