午前中のその仕事のあいだ、こんな思い出をふと思い返してしまう。この日記でもたびたび書いてきたことをまたぞろおさらいすることになるが(それだけぼくにとって忘れがたいことなのだからご寛恕願いたい)、いまから10年前のぼくが40歳のころ、市内のある古民家カフェでぼくと前ジョブコーチははじめてお会いすることができたのだった。いまもってなお思い出すのは、その席でそのジョブコーチと娘さんがぼくたちに「ファーストペンギン」の話をしてくださったことだ。「私たちは『ファーストペンギン』です」というように力強くおっしゃった。そのとき、よもやこのぼく自身がこんな感じで勇敢に自分の人生を切り拓くパイオニア(つまり、それこそ「ファーストペンギン」)になれるとはまったく予想できるわけもなかった。その後の10年間の歩みを振り返ってみるとぼく自身は英語をふたたび「昔取った杵柄」で学び直したり、あるいは市内のグループホームに住まわせてもらったりジョブコーチの制度の利用を開始したりしていろいろと未知の領域に飛び込んでいくこととなったが、そんなことがその席にいたぼくにできるなんて予想できなかった。ただただ、あの席にいたぼくはすべてがなんだか「できすぎ」なドラマのようにさえ見えたことを思い出せる。
たぶんもしかしたら――いまとなってはもう記憶から抜け落ちた遠い遠い昔のことのようにさえ思えて、だから憶測もたぶんに交えてしまうけれど――あの出会い以前も哲学や文学に興味はあったのかもしれなかった。というのは、そういった分野の芸術がぼくにとって「使える」「参照できる」実に得難く「深い」リソースそのものであり、そうしたリソースがあってこそ生き延びられて心をまともに保つことができたとも考えるからだ。とはいえ、実のところ「それ以前」の時代はたぶんぼくの中の恥じらいや自信のなさといった臆病さが顔を出してしまい、なかな素直にそういった芸術を探索する勇気を持てなかった。だからそうしたミーティングやその後の自助グループでの活動をとおして、ぼくはついに勇気を以て哲学や文学を徒手空拳で学ぼうと思えるようにもなった(いや、ここまで気張ったものではなくたんに「好きなことをやろう」と居直ったというのが正直なところだ)。そうした自助グループのメンバーたちが、ぼくに哲学や文学や英語学習の世界に飛び込む扉を開いたのだと言っても言い過ぎではありえないと思う。あれから10年。1人の人間の中にあるこの「伸びしろ」の興味深さよ。
それはそうと……なんとも、ぼくは生きづらい人生を生きていることだとあらためて嘆息する。というのは端的に、ぼくがいろんな「ギャップ(ずれ)」に対して過敏すぎることから来るのだろう。普通の人々なら難なく飛び越えてしまう「ギャップ」につまづき、そしてケガさえしてしまう。いろんなことから他人のぼくに対する悪意を読み取ってしまったり、なにか幻聴めいたものが聞けるのではないかと勘ぐってしまったり。そんなぼくにとって、哲学や文学といったリソースはほんとうにありがたい。でも、そんなむずかしい本を(たとえばウィトゲンシュタインや柄谷行人、西部邁や上野俊哉などを手当たり次第)読むぼくはそうしてシビアな現実から逃げているということになるだろうか。ぼくはそうして、哲学や文学にはまり込むことで現実社会から逃げて引きこもろうとか半隠遁生活を送ろうとかしているんだろうか。もっとも、いまならぼくはそれに対して「たぶんそうかもしれないが、それで問題でも(カフカみたいでカッコいいじゃん)?」と返すかな、とも思ってしまう。
