単純な生活

Life goes on brah!

2024/10/04 BGM: Robert Johnson - Ramblin' On My Mind - Take 1

今日は休日だった。いつもながら(部屋にいても行き詰まるだけでなんの実りもないので)イオンに行きそこでロアルド・ダール『マチルダは小さな大天才』の原著の続きを読み進めようかと思った。しかし、なにをどうやっても集中できずのめり込めない。理由はまったく考えつかなかった(もしかしたら金曜日が休みということがめったにないことなので、そんな実にしょうもない理由からかもしれなかった)。あきらめて図書館にぶらりと行ってみて、そこでまた沢木耕太郎ルポルタージュやエッセイ集でも借りるかとあれこれ本棚を見たところ、ベストセラーの三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が目を引く。さっそく借りて、その後行きつけの千円カットの散髪屋で伸びていた髪を切ってもらった。

今朝はそんなこんなでバタバタしていてのんびり・まったりした朝活時間を取れず消化不良気味だったので、午後は朝に書けなかった昨日の日記を日課として済ませて昼寝をして、そして借りてきたくだんの三宅香帆の書を読み進めていく。そしてわかったのは、現代の生活(つまりライフスタイル)がほんらい優雅な趣味としてあるべき読書を情報を摂取・享受するだけの方策・手段としてやせ細らせているということだ。そこでは読書が教養を得て生きるための知恵を築き上げるというより、たんなるライフハックのための実に便利(あえて横文字で「コンビニエント」と書きたくなるが)な用途になってしまっている。それはつまりぼくたちの生活がスリムになり、かつ薄まっており豊満で肥沃な細部(あえてこんな表現を使えば「ムダ情報」)を削ぎ落とされてしまっているということになろうか。少なくともぼくはこの本をそう読む。

そんなことを考えていくと、そもそも突き詰めて「どうしてぼくはこんな古くさい・時代遅れの読書なんて時間の過ごし方を選んでしまうんだろう(よりによって)」なんて思ってしまいもする。いや、ぼくは新しいやり方、斬新な(あるいは「いまどき風の」)時間の過ごし方というか余暇の楽しみ方を否定したくない。TikTokだってYouTubeだって面白い人には面白いのだろう(ただ、ぼくとは合わないのでそんなやり方でぼくは時間をつぶすことはない)。ぼくはたんに紙のページの感触、あるいはにおい、文字の持つ「旨味」といったものが好きなんだろうと思う。もっともこれはまったくもって「フェチ」「フェティッシュ」なものなので人に強制したいとも思えない。この趣味がアナクロ(時代遅れ)になろうと、ぼくは読書を楽しもうと思っている。

夜になり、夕食を摂り……そしてついに! 重い腰を上げて近々市のエキシビションの企画に出展する予定の絵を描き始めたのだった(あまりにも腰が重すぎる自分を恥じる。だが、抜歯やジョブコーチ面談などあれこれやることもあったし、描くことがなんら思いつかなかったからでもある)。ライトニン・ホプキンスやハウリン・ウルフなどブルースの名曲をあれこれ聴き流しつつ、「水にかたちはありますか」と英語でカンバスの上にクレパスで書いてみる。だが、これを見た友だちが「英文、間違ってるよ」とコメントをくれた……それで直さないといけなかった。ああ、もっと直さないといけないこと、学ばないといけないことはあまたある。チャットしたり議論したり、コラボしたりして人と会って……と考えると本ばかり読んでる場合でもないのだなあと思ったりもしたのだった。夜は更けていく。