今日は休日だった。朝になりイオンに行ってまた『マチルダは小さな大天才』の原書を読み進めるか、あるいは黒川創『鶴見俊輔伝』か鶴見俊輔『期待と回想』でもパラパラめくって時間をつぶそうかと考える。しかし実際に行ってみてなにかやろうとしてもまったく手につかず、なんだかなにもかもが茶番に思えて英語学習そのものもバカバカしくなってきたので、気分を変えてウサを晴らそうと図書館に行ってそこで沢木耕太郎『ミッドナイト・エクスプレス』という旅行記を借りる(いま『深夜特急』と称して文庫本で出ている旅行記の総集編である)。1度読んだことはあるが、また読み返すのも一興だろう。その後グループホームの本家に行き、管理者の方に会って1週間分のこづかいをもらっていろんなことを話し込む。
そしてそこを去って、昼食を摂ったあと昼寝をして起きて……ふと、鋭い読者は察されたかもしれないが、ふたたびなにもかもがそれこそアホくさいというかくだらないというか、どうしようもなく「むなしいなあ」と思えてきた。ただ、そこはさすがに「わかっている」のでSpotifyでムードを変えるべくデルタ・ブルースの名曲をあれこれ聴きはじめる。いま(そう、これを書いている「現在」の話だ)、脳の中の忘却の穴の中からアリの上述した至言を思い返しいったい30年近くの時間の中で20のころと比べてなにが変わったかなあ、変わってないのかなあ、とあれこれ考える。就職して20年以上働き、その間酒に溺れてエラい目にあって、その後40になり断酒して、ジョブコーチと会って、英語をやり直す肚をくくって……変わったような気もするが定かではない。
こまかいところは変わった、とは言えるのかもしれない。20のころはいまのような感じではデルタ・ブルースやソウル・ミュージック、ジャズなんてわかりっこなく、大学で先輩たちが作ってくださったカセットテープを聴いてみたりしてもスライ&ザ・ファミリー・ストーンやマーヴィン・ゲイといったエバーグリーンなアーティストたちの旨味が理解できなかった。いま、自分の中にある根っこの部分、ルーツを見直してみて核となる部分の中にあるものを想像してみる(たぶんその核のなかに「インナーチャイルド」が眠っているはずだ)。でも、それは20のころとまったく……と言って言い過ぎならせいぜい「ほとんど」代わり映えしないもののように感じる。あのころ好きだったブラーやマッシヴ・アタックを聴いたりして。こんなこともあるのだなあ、と思う。なにも学ばなかったからこうなったのか、それとも加齢なのか。いや、自虐的になりすぎるのはよくない。たぶんなにか間違っているはずなので考え直そうと思う。
