今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
今日は早番だった。今朝、英語関係のZoomミーティングに参加して英語でのディスカッションんにいそしむ。大晦日であってもこのミーティングは開かれていて、英語を学びたい有志が集い英語学習に切磋琢磨する。今日のテーマは電子タバコをどうやったら卒煙・禁煙できるかで、その流れでぼくは他のメンバーの方々にぼく自身がかれこれ数十年続いた飲酒の悪習をどうやって断ち切り、そこからこの町にある断酒会とつながらせてもらいそして完全断酒にいそしむことになったかひとくさり語らせてもらった(ちなみに、ぼくの父はタバコをまったく吸わない人で家に灰皿を置くこともなかったので、ぼく自身タバコを吸うことはまったくもってなかった。吸わされた記憶もない)。その経験から語るに、ぼくはなんらかの依存を断ち切るには自助グループにつながり、そこから信頼して弱みを見せられる他人とのつながりを経ることではないかと深く信じている。意志の力でなんとかしようとしてもうまくいかないのではないかと。明日、お正月になってもそのZoomミーティングは開かれる。もちろん実にありがたいことでこの会を実現されている方々の努力の賜物だ。ランチタイムに明日のテーマをちょっとばかり予習すべくウェブを開く。テーマとなる記事は三番目の言語の取得が第二外国語の取得より往々にしてスムースに行く理由について解説された記事の英語版と日本語版で、実を言うとぼくはいまもってなおフランス語を学ぼうと悪戦苦闘してまったく身につかずムダな時間を費やすしかなかった苦い記憶を持つのでこれにかんしては半信半疑なのだが、でも興味深い記事と唸る。突然、来年(つまり明日から)のとりあえずの抱負としてすっかり錆びてしまったそのぼく自身のフランス語の語学力を磨きなおすのはどうかと思ってしまったりもしたのだった。ただ、いまからさかのぼること数十年前、大学に居た頃大江健三郎や松浦寿輝にあこがれたりフランスの現代思想を(デリダやドゥルーズやラカンなど)を少しばかり・ちらりとめくれたらと思いフランス語を選んだりしたものの、語学のセンスというのは恐ろしいもので授業でコテンパンにやっつけられた記憶があるので、やっかいなことになるかなとも思う。
仕事を始め、今年のことやあるいはガラにもなくこれまでの人生のことをあれこれ振り返る。この人生……ぼくから見ればまったくもって奇々怪々・不可解極まりない人生としか言いようがないのだった。とはいえワンダフルな人生でもあることに変わりはない。たとえば、この今日の日記を書き上げてしまえば2024年を通してぼくは毎日毎日・まったくサボることなく日記を書きつづけられたということになる。しかし、実を言うと年始に(いや、いつにおいてだっていいのだが)「1年間サボらず日記を書くのだ」と誓った覚えなんてこれっぽっちもない。毎日毎日、いやそれこそいついかなる時においても「もう止めようか」「1日くらいサボってもいいだろう」と怠け心が目を出すことは書いておいてもバチは当たるまい。いや、なんら自虐をかますわけではなく本音である。しかし、毎日毎日こうして英語と日本語で書き書きすることがルーティンになってしまっているようで書かないとおしりがムズムズすることもまた確かなのだった。
そもそも、なんでこんな日記なんて書こうと思ってしまったりしたのか。わからない。ぼくが若かった頃、いまのようなブログやSNSが定着する前に「ウェブ日記」をそれぞれのユーザーが自前のサイトで描くトレンドというのがあった。ぼくもネットの片隅で、自分なりにウェブ日記を書いてみたりしたりもしたっけ。でも、当時は根気もなかったのですぐメゲてしまいやめた。時は流れ……思えば(また繰り返すが)ぼくは抱負として「早稲田に入ろう」と思ったことなんて断言するが一度たりともない。早稲田にかんする赤本などの資料を揃えて真面目に勉強した覚えなんてこれっぽっちもないのだった。日記にしたって上に書いたとおりで、書きつづけて1年コンプリートしようと思ったことなんてない。英語についても、まさかここまで(かれこれ9年か)続くとは思ったりしなかった。逆に、どうしてもやりたいと思って何度も何度も壁にぶち当たる思いをして、ついに苦い挫折を味わうしかなかったことだってある。プロの小説家になることやさっき書いたフランス語のこと、ガルシア=マルケスやバルガス=リョサの小説を読むことなどだ。まあ、そういう人生もあるのかなあと思う。
今年1年、ありがとうございました。2025年もよろしくお願いします。