跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/19 BGM: The Jesus and Mary Chain - I Love Rock 'N' Roll

今日は遅番だった。朝、図書館に行きそこで『英国ルネサンス恋愛ソネット集』を借りる。その後イオンのフードコートで詩を書き始める。ここ最近は柄にもなく忙しくて、なかなかDiscordなどにゆっくり顔を出す時間がない。不義理を申し訳なく思っている。土曜日は休みで、前の日曜日の発達障害絡みのミーティングの記録を仕上げるなど予定もあるのだけれど時間が少し取れそうなのでまたゆっくりバカ話に興じたいと思う。ラフながら詩の下書きを済ませる。ほんとうならそれをすぐさま全世界に(Facebookなどを通して)公開したいと思ってしまうのだけれどそこをグッとこらえる。推敲もしていない詩をそのまま見せるのはあまりにも「ナメてる」とも思うからだ。冷却期間を置くことにする。その後、谷川俊太郎・尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』を読み始める。谷川俊太郎について自分は何も知らなかったことに気づいた。彼の詩は至るところにある。教科書や広告、あるいは彼が翻訳した『ピーナッツ』の中に……だけど彼の人生に触れたことがなく、どんな人なのかぜんぜん知らなかったのでこれもいい機会だと思って読み進めることにした。いったい何を学べるだろう。

そして夕方、休憩時間に詩の清書をする。Telegramのグループにぼくの詩のブログを紹介させてもらう。やれやれ、すっかり詩を中心にぼくの生活が回ってしまっている。くどいほど書いているが、凝り性なのも発達障害の特徴の1つなのだ。昨日も書いたけれど友だちにYouTuberの人がいて、ぼくは実は恥ずかしながら彼の動画をフォローできていないのだけれど彼の書くメロディにぼくの詩をつけられないかとも考え始めている。コラボレーションだ。あるいは知り合いの描く絵を見てそこからぼくが詩を書くとか……夢は膨らんでいく。そうなってくると生きる張り合いも出てくるし、自分の置かれた境遇に幸せを感じられもする。ともあれ、今すぐそんなコラボを実現させられるわけでもないので今は詩作を充実させて時を待つことにする。LINEグループで友だちにこないだ行った「本の蔵」の写真をシェアする。ぼくの詩集ができたらその詩集をそこに置かせてもらえないかとも考え始めてみた。表紙は上述した友だちの絵を使わせてもらえないだろうかと(彼女とも本の売り上げを折半することができれば)……いや、まだ「捕らぬ狸の皮算用」の次元の話。まずは「書き溜める」ことに専念だ。

こうして遅咲きで作家として名を成した人は文学史に居るだろうかと考えてみる。ぼくはずっと若くして、即座に名を成した人に憧れ続けてきたように思う。平野啓一郎(彼の小説は読んだことがないのだけれど)や村上龍といった作家たちだ。だけどぼくは彼らのようにはなれっこない。「負けを認める」ことを学ばなければならない。ぼくは今の時点で彼らのような抜きん出た才能を持たない……なら、これからあせらず地道に泥臭く、今のぼくの持つ才能・資質を伸ばしていくだけだ。そうすれば森敦やチャールズ・ブコウスキーみたいに遅くして大成することだってできるかもしれない。いや、できっこないかもしれない。一生花を咲かせられず死んだ作家たちだって山ほどいるだろう。死んでから認められた人たちだって(フランツ・カフカのように)。売れる・売れないや評価される・されないは自分にはコントロールできっこない領域の話だ。だが、ぼくなりに優れた作品を書き続ける努力、そしてそれを売り込む努力はぼくがコントロールできる領域に入る。なら、できることをやってあとは「人事を尽くして天命を待つ」。「天は自ら助くる者を助く」の精神で生きていこうと思う。

若い頃に酒を浴びるように呑んだことを、今後悔しないわけでもない。もっと自分を大事にして生きればよかった、と思わなくもない。でも当時はそんなことわからなかった。「自分を大事にしなさい」と言ってくれる人がいなかったのだ。今は自分の内側にある命の灯火を大事に保って、1歩ずつ慎重に歩いていくことに専念する。詩も、1作ずつ自分なりにていねいに書いていくことを心がける……ここまで倒れずに歩いてこれただけでも奇跡のようだと思う。幸いなことにぼくの中の灯火はまだ燃え続けている。この灯火を保ったまま50代・60代を生きて、古井由吉村上春樹が残してきたような大きな仕事に通じるものを残したいとも思う。昔は何の目的も夢もなく生きることに甘んじる自分を情けなく思い、いったい何のために早稲田で英文学を学んだりしたのかと思ったりもした。でも、「ここに来るために」すべてがあったのかなとも思う。自分の興味のあるものにただ食いつき、無芸・無能なりにかじりついて生き続けてきてこんなところに来てしまった。詩作のためのジグザグな道を歩いてきて、そして今に至る。視界は開けている。これからどんなひらめきと遭遇するのか楽しみだ。