跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/15 BGM: James - Sometimes

詩を読み、書くようになってはや一週間ほど経つ。何しろ発達障害者でありそれゆえに実に「熱しやすく冷めやすい」、つまりは飽きっぽい性格なのだけれど「詩を書く」という活動は自分に合っているようで今日も詩作を試みることができた。ぼくは自分の詩のブログに「冰箱」というタイトルをつけた。これは中国語で冷蔵庫のことを意味する。ぼくの心というのは一種の冷蔵庫のようなもので、開けて中を見てみるととうに期限を過ぎてしまった素材が転がっていたりする。その材料を使ってありあわせのものを作るのがぼくの詩作であり、実に「その場しのぎ」「レディメイド」な作詞ということになる。今のところ「書きやすいから」という理由で14行詩(ソネット)ばかり書いているのだけれど、書けるようならもっと形式にとらわれない自由詩・散文詩にも挑んでみたいと思っている。ああ、実に「行き当たりばったり」というか今年のはじめに「自分は詩を書くことになる(たぶんそれは今後も末永く続く)」なんてこと予測もできなかった。今が人生の後半戦なのは間違いないことだけれど、これがぼくのライフワークになるのだろうか。まったくわからない。今はただアーカイヴを充実させたいと思っている。

もちろん書くだけ、アウトプットするだけでは早々に行き詰まるに決まっているのでインプットも試みないといけない。今日は谷川俊太郎の詩集を図書館で借りた。そして、仕事が終わった後にソニー・ロリンズのジャズを聴きながら読み始める。過去に詩に関心を持ち、松浦寿輝池澤夏樹の詩集を読みふけったことを思い出す。いったい何をやっているのか……「まともな」「まっとうな」48歳の男はこんな詩作にうつつを抜かすものだろうか。でも、これがぼくのやり方・生き方だと居直るしかない。職場でもぼくが発達障害者だということ、言い換えれば「変人」だということは周知の事実となってきたようでそれゆえにぼくを嫌う人もいる。ぼくとロッカールームで一緒になるとあからさまに嫌な顔をして、出ていく人だっている。前はそうされたら傷ついていたのだけれど、今日ふと「そういう人はぼくから『逃げている』のだ」と思った。逃げるのはその人の後ろめたい気持ちの問題であり、ぼくがどうこうする問題ではない。つまりはぼくとしては「勝手にしやがれ」と構えてファイナルアンサーでいいだろう、と。そう思って、「気にしない練習」を始めてみることにした。これもいつまで続くかわからないけれど。

詩を(ヘタクソであれ)書くことのメリットの1つはおそらくは、「カネをかけない」で「手軽に」できることだろう。楽器やカメラなどの機材を買う必要もない。ノートとペンがあれば初期投資としては申し分ない。徒手空拳で、詩を通して世界と対峙する。「考えるな、感じるんだ」の精神で外側にある素材を捉え、自分の内側からそうした素材を通して何が湧いて出てくるのか見極める……詩を書くことはこうして見てみると、「走ること」「釣りをすること」と同じで結局自分と向き合うこと、自分の井戸を掘ることなのだなと思う。他の方はどんな詩を書いているのだろうか。欧米・西洋の詩ばかりに目を向けず中国やその他アジアの詩も参考にできればと思い始めた。『現代詩手帖』などを読んで「フレッシュ」「ヴィヴィッド」な詩にも触れたい、と……48になり、職場の健診でもあちこち引っかかるようになり、さすがに「いつまでも若くない」「終わりが近づいてきている」という事実をリアルに感じられるようになってきた。これから何を成し遂げられるか。20代・30代をある種ドブに捨てて生きてきたようなそんな人生だったけれど、これから「ひと花」咲かせられたら面白いなと思う。だが、咲かせられないとしてもそれはそれで味のある人生だとも思う。

夢を書いてみようか。これからやりたいこと……今すぐできることと言えば図書館に行き、中国の詩を借りて読んでみる。ぼくの住むグループホームの近所にできたという喫茶スペースに行ってみて、そこの方にぼくの詩を見てもらう(むろん厳しい意見もあるだろう。それを歓迎したい)。あるいは、ぼくの拙作をぼく自身の声で朗読することはできないかとも考える(もっと溜まってからでもいいかもしれない)。リアルで、あるいはポッドキャストで……夢は膨らむ。もちろんこれらは「現実を見ろ」「寝言は寝てから言え」な次元の話ではある。でも誰に迷惑をかけているわけでもないし、仕事をおろそかにするつもりもない。日々の生活を保ちながら、重心を少しずらして軌道を変えてみたいと思っている。金にならないならそれでもいいし、ボロクソに詩を評価されるとしたらそれもまたよしだ……この日記にしても「こんなことを書いて叩かれたりしないか」「またマンネリに陥っているな」と思うこともあって書きにくい思いをしているのだけれど(その程度の羞恥心なら持っている)、今日は思い切って厚顔無恥に夢や野心を語ってみた。叶わないかもしれない。でも、ぼんやり「死ぬのを待つ」だけで終わる人生というのも味気ないとも思うので。