跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/07 BGM: Massive Attack - Protection

ここ最近、本格的に体力と気力の衰えを感じる。これも歳をとったせいなのだろう。過去、20代や30代の頃のことを思い出す。あの当時、ぼくは村上春樹の小説に登場するような「人生のレールから降りた」人に憧れていた。最近だと『街とその不確かな壁』にも登場するような、世界で進行し続けている競争(浅田彰の言葉を借りれば「パラノ」な、「追いつけ追いこせ」という社会)から「ドロップアウト」してしまい自分の居場所を見つけた人ということになる。そんなボヘミアンアウトサイダーな生き方に憧れた。10代の頃はさすがにまだ「成功」を夢見て「大志」を抱いていたところはあったと思う。「作家になりたい」「出版に携わりたい」「翻訳はどうだろう」といった「夢」を持っていた記憶ならぼくにもある。でも、結果としてその「大志」「夢」は就職活動の失敗で破れてしまい、それで今の仕事を始めた。その後、就職活動の時に呑み始めた酒が酷くなってしまい酒浸りの毎日を送るようになって、いつも「もう人生終わった」「楽しい盛りの時期は過ぎてしまった」と思って打ちひしがれて日々を過ごしたのを思い出した。ああ、いつも書いているけれどなんともアホだったなあ、と今なら思う。

「人生のレールから降りた」人たちということでいえばぼくが思い出すのは松浦寿輝藤沢周堀江敏幸保坂和志の小説である(過去にデビューしたばかりの頃の福澤徹三を読んだ時も同じ匂いを感じたけれど、その後はフォローできていない)。彼らの本を憑かれたように読んだ時期があったことを思い出す。彼らの作中人物は一方ではまともな(?)勤め人としての生活を送っており、だが小説の中で彼らを襲う厳しい現実と立ち向かわざるを得ない。抽象的な言い方になるが「中年の危機」というやつになる。もう若い頃のようなムチャはできないし、いずれ死ぬ定めを見据えないといけない。家族を持つこと、家庭を築くこと、そして子を持つかどうか考えることを迫られる。そういった作家たちの作品はちょっと前に流行った「内向の世代」の小説にも似ているようにも思われる。つまり政治的なこと(抽象的な言い方をすれば「外」や「上」)に刃を向けるのではなく自分の内面にその鋭くかつ真摯な眼差しを向ける……と。そんな作家たちの作品を愛し、ぼくも自分の内面ばかり見つめて生きていた時期があったことを思い出す。「それは悪いことばかりとも言えない」と今では思うにしろ。

今日、現代詩文庫から出ている松下育男の詩集を読んだ。そして松下育男もまた、実にそういった意味では「ぼく好み」の作家であるように思った。彼の詩は極めてクリアな、わかりやすく間口が広い詩という印象を受ける。それはおそらくは彼自身が勤め人として「揉まれて」きて、それ相応の社会性を身につけられたからということになるのかもしれない(だが、これを「だから詩人も社会に出ろ」「会社勤めをすればいい詩が書ける」と受け取って欲しくない。そう頭ごなしに言えないのが詩作の面白いところなのだから)。だが、彼がその平明な言葉を尽くして語ろうとする詩の世界は「変わって」いる。ねじれているというか、ユーモラスな味わいを見せる中にキラリと光る発想の妙が感じられる……と書いて、ここで詩作を引用することを考えて「でも、どの詩を引けばいいのだろう」と思ってしまう。これは実際に詩を少しずつ丹念に読んでもらって「松下育男の世界」「松下育男ワールド」に浸ってもらった方がいいようにも思う。もちろん、1編の詩それ自体を抜き出して論じることに意味がないわけではない。だがその詩がどんな土壌、どんな畑から採れたかを考えることにも意味はあると思う。

そんな感じで、ここ最近は松下育男を読んで自分が泥酔した頭で行っていた過去の読書のことを思い出すようになった。あの時期、ぼくの体力・気力は確かに今よりはあり余っていたと思う。頭が働き、そしてさまざまなアイデアが湧き出てきた……だけどそれを言葉にして作品にするにはぼくの「人間力」は未熟だった。結果として40になって酒を断つまで、自分は1編の詩も書けなかった。「老い」というテーマについて何か書きたいと思ったこともあったけれど、当時のぼくはまだまだ若く(あるいは端的に「青く」)したがってそんなテーマに取り組めるほどの蓄積も人間的成熟も達成できていなかった……今、48になりやっとそんな「老い」と向き合えるかと思いきや、最近のぼくの考えることと言ったら「若かった頃の自分はどうだっただろう」という自伝的なテーマばかり。もちろんぼくは「青春は素晴らしい」なんて言うつもりはない。ぼく自身の青春は悪夢そのものだったから二度と戻りたくなんてない。だけど、こうして自分を振り返ってみると書こうと思うテーマと自分の年齢とは常に「齟齬」があるというか、ずれているなと思う。若かった頃に「中年の危機」に興味を持ち、今になって「命短し恋せよ乙女」的なことを考えているのだから。まあ、それがぼくがスットコドッコイである所以だろう。