跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/16 BGM: Silent Poets, Terry Hall - Sugar Man

今日は休みだった。朝、ZOOMを立ち上げて発達障害を考えるミーティングに参加する。そこで発達障害についてあれこれ話し合う。ぼくの知り合いであるロシアのビクトリアさんが抱えておられる問題・お悩みについても話し合う機会を設けてもらった。時間の都合上彼女が抱えておられる問題をすべて話し合えたわけではなかったけれど(ごめんなさい)、どうやって自分が発達障害であるとわかったのかについて各メンバーから話を聞けたのは収穫だったと思う。ぼく自身のことを言えば、ぼくは子どもの頃から「授業中じっとしていられない」かと思えば「読書が好きな変な子(だって、周囲はワイワイ野球などに興じていたのだから)」だった。そして中学生の頃はこの奇異なパーソナリティの特性ゆえに、ラジオのヒットチャートをノートに記録することにハマったりしていた(発達障害の人はこうした「凝り性」「マニアック」な特性を往々にして持つものだ)。そんな子が十代の頃、クラスでどんな風に見られるかはご想像の通り。ずいぶん「はみ子」にされてつらい思いをしたっけ。ぼくも「自分は一生友だちなんてできず、恋愛も結婚もできず孤独に生きるしかないんだ」と(まだ十代だったくせに!)思い込んでいたのだった。

でも、ぼくにしても他のメンバーにしても「ほんとうにつらい時期」に入ったのはむしろそんな学生時代ではなく「大人になってから」「学校を卒業してから」ということになるのかもしれない。学生時代は教科書に沿って学んでいれば、極端な話をすれば「友だちがいなくても」「孤独でも」なんとかなるところがある。いい成績を取れば……でも、大人になってしまうと仕事や私生活で「教科書がない状況」「頼れるものがない状況」に出くわすことになる。そんな時、学生時代に孤独に生きて自分の世界に閉じこもってしまって生きていた発達障害者はしたがって「挫折経験」「失敗」を積んでいないため「脆い」「弱い」とも言える。ぼく自身、高校生の頃のことを思い出すとずっと帰宅部で孤独に村上春樹を読んですごしていたので失恋などで挫折を積むこともなかった。大学に入ってからも、アルバイト経験を持たなかったのでしたがって社会で「揉まれた」こともなかった。そのせいもあって就職に失敗してずいぶんつらい思いをした……というような話は他のメンバーからも出てきた。語弊があるが、「どう失敗するか」「どう自分の限界・輪郭を見極めるか」が発達障害者がサヴァイブする上で重要なキーワードになりうるのではないか、と思う。

ミーティングがはねた後、昼ごはんを食べる。その後、近所にできた喫茶スペース「本の蔵」というところにおじゃまさせてもらった。そこはぼくの町が生んだ作家・竹内和夫芥川賞の候補にもなったそうだ)の蔵書が公開されているところだった。ぼくはそこでアイスコーヒーとお菓子を注文して、そして今日の詩を書いた。そうしているとお店の人がぼくが書きつけている英語に興味を持って下さった。実を言うとぼくは自分の詩をプリントアウトしていたので、それをはた迷惑にもそのお店の人にお見せしてしまった。そして自分の来歴を語る。学生時代、アメリカの詩を学んだことがあることを話したりあるいは詩を書き始めたきっかけとして谷川俊太郎の詩を読んでいて「自分でも書いてみたい」と思い始めたということを話したり……本棚にある本はぼくの知らない本ばかりだった。「こんなすごい読書家がぼくの住む町にもおられたのか」と唸った。と同時に、そこに展示されている絵画にも興味を持ちいろいろ掘り下げて質問してしまった(息子にあたる方の作品だそうだ)。また行ってみたい。コーヒーもお菓子も美味しかった。そのお店の人のご好意でぼくの書いた詩を置かせてもらった。それに関して深く感謝し、ここに記しておきたい。

夜、西脇順三郎の詩を読んだりして時間を過ごす。その後、英会話関係の別のミーティングにZOOMで参加する。そこでまたアメリカのホームドラマを観て英語を学ぶ。今回、「18歳という年齢で『結婚』を考えるのは早いか否か」という話題で盛り上がった。ぼくは実は優柔不断にも「何とも言えないな(ぼくは18歳の頃はずっと『こんな人生うんざりだ』と思っていたので)」と考えていて、すると司会の方が「どう思いますか?」とにこやかに振ってこられたので、焦ってしどろもどろになってしまいつつ何とか「いや、『結婚』の決意を固めるのはいいことだけれど解決すべきこととして収入をどう得てどう結婚生活を築いていくかも考えないといけないと思う……」と返答した。そんな意見が自分の中から出てきたことにぼく自身が驚き、そして「もしぼくにも子どもがいて、その子どもが『結婚したい』と言い始めたら反対したりしたのかな」とも思った。いやはや、だとしたらぼくもずいぶん「保守的」な人間になったものだと思う。18歳で選挙権を得ること、自己決定の経験を積むことを一方で奨励したいと思いつつそうした「保守的」な気持ちをも持ち合わせて生きている。矛盾かもしれない。十代の子からは「それは欺瞞だ」「あなたのような大人は汚い」と言われただろうか、と思ったりした……。