跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/16

今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。私は「私と英語」という題で話をした。毎朝、いつもつらい思いをしているけれどそれでもDiscordやWhatsAppで英語でチャットをしたり、この日記を英語で書いたりしていると自分の気持が上向いてくる、というようなことだ。好きこそものの上手なれ、という。私も、英語で表現するのが好きだから今までいろんなことがあっても続けてこられているのだと思う。他の方からも闊達な意見が出た。いつもながら、楽しいミーティングになったと思う。ありがたいことだ。

そのミーティングが終わると、今日も特に何もする気力も湧かなかった。ただ、やらなければならないことはやろうと思い(そうして「やってみている」と、何か他のことをする気力も湧くかもしれないのだから)「ふれあい祭り」のための原稿を清書する。そしてそれを渡す。あとは別の方から依頼されている文書を読ませてもらう。これに関しては、感想を述べる前にもっと自分の考えを煮詰めたいと思った。そうして、今日は今日できるだけの仕事をこなした。その後はずっとベッドの上に寝そべり、寝転んで過ごした。

夜に片岡義男を少し読もうかとも思ったのだが、頭に入らない。英語がペラペラでなければ恥ずかしいと考えてしまう「英語コンプレックス」についても考えてみたいと思ったのだけれど、今の精神状態ではいい方向に考えが向くとも思わない。やはり、今は寒暖差の大きさが悪い方向に働いているのかなあ、と思う。それと前に書いた失敗したことをまだ引きずっているのかな、と。この失敗については他の方から心配されて、今日もミーティングで話そうかと誘われたのだけれど私が「今はいい状態ではないので」と断ってしまっていた。

ああ、あの日の出会い……今のミーティングの始まりの日。あの日に出会った人々が私を変え、英語で表現してみることを始めてみるようになったのだった。その意味では今は当時からずいぶん遠くへ進めたと思っている。自分はそんな風にして成長しているし、今の痛みというのもその成長に伴うものなのかもしれないとも思うようになった。いや、これは手前味噌というものかもしれないけれど、それでも過去に留まろうという気はない。今、私は47歳の日々を生きている。そのリアルな人生の感触をひしひしと感じている。