跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/10/28

なかなかうまくいかない。保苅瑞穂『モンテーニュ』を読んでいるのだけれど、この本で語られているモンテーニュの考え方と自分が似ているように思い、改めてモンテーニュ『エセー』を読みたくなった。人は愚かしい存在であり、決して全知全能ではないこと。その事実の前に謙虚になることによってこそ、人は前に進むことができる。これは保守主義の考え方に似ている(というか、同一なのかもしれない)と思った。『エセー』は前に読んで挫折したので、今回通読に挑むのもひとつの「中年の危機」の乗り越え方なのかもしれない。

モンテーニュ』の影響で、今生きているこの時代をどう捉えるかを考えてしまった。今は確かにひどい世の中だと思う。戦争はなくならないし、人々の暮らし向きも貧しい。コロナ禍は続いているし……だが、モンテーニュが生きた時代もまた乱世であったことを知り、そんな時代でも真っ直ぐ生きた人がいたことを知る。どんな世の中でも自分なりの生き方を築き上げることはできる。モンテーニュが『エセー』を書くことで試みたのはそんなことだったのかもしれない、と思った。私もこの日記を書き続けることで生き方・哲学を完全に近づけることはできるのかもしれない。

今日、ALTの方とお会いした。英語で話させてもらう。ああ、前にも書いたけれど、過去に「自分は留学したこともないし、英語なんて喋れっこない」と決めつけてしまっていたのを恥ずかしく思う。意思あるところに道あり、ともいう。お陰様で通訳のボランティアを依頼されるところまでたどり着き、貴重な経験もできた。語学を極める道に終わりはない。だが、こうした語学とは(前にも書いたけれど)結局才能の問題なのだろうか。私はそうは思わない。私は才能という言葉にそんなに重きを置いていない。好きかどうか、それが全てなのだと思う。

結局私は書くこと、英語を話すことが好きなのだと思う。好きだから、つらいことがあっても続けることができているのだろう。好きこそものの上手なれ……私より流暢に英語を喋れる人、私よりうまい人はゴマンといる。だが、私は誰とも比べたりしない。いや、上手い人に憧れることはあるし真似することもあるけれど、基本的には私は自分の中の情熱を信じる。情熱……今、子どものような好奇心に突き動かされて「学びたい!」と思うこと。その「学びたい!」がすべてなのだと思う。その情熱に素直になること。自分はそうした衝動に忠実に生きている。敢えて言えば、そうして湧き出してくる力こそ私の取り柄なのかもしれない。