跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/24

今日も天気が良かった。仕事をして、昼休みに古井由吉『野川』を読み始めた。古井由吉の小説を読んでいると心が落ち着く。読書を通して瞑想をしているような、そんな気持ちになるのだった。高次元のものと心がつながるような、そんな気持ちに。古井由吉はすでに亡くなったので彼の新作はもう読めない。私が新作を心待ちにする作家と言えば誰が居るだろう。村上春樹保坂和志堀江敏幸の新作は読みたいと思うのだが、フレッシュな新人の新作を心待ちにすることもなくなってしまった。磯崎憲一郎あたりを読んでみたらなにか発見があるかもしれない。

小津安二郎をまた観てみようかと思っている。蓮實重彦吉田喜重前田英樹といった書き手が小津について書いたものに触れて小津の哲学からまた生きることの意味を問い直したいと思うようになったからだ。『東京物語』なんてどうだろう。私は全然戦略的なことを考えない。読書はただ、読みたいと思うものをまったく深く考えずに読んでいるだけだ。だけどもここ最近は古井由吉保坂和志を読んで、生きることはどういうことかを柄にもなく考えている時期なのかなと思う。まだ若い、と言われるかもしれないけれど。

古い映画や小説に触れ直し、そしてそこから得たものをこうして日記に書いて、そして日々はめぐって行く。毎日毎日同じことを繰り返していると進歩がないように思う。たまには違うことをやりたい。それこそここ数ヶ月は映画から遠ざかってしまったのでルーティーンの中に映画鑑賞を組み込んで、小津や成瀬を観るのも悪くないだろう。若い頃は流行について行きたくてライトノベルを読んだりしたものだが、もうTwitterも使わなくなってしまった。トレンドも追いかけなくなってしまった。こうして老いていくのだな、と思う。

古井由吉の小説を読み小津安二郎を観て、井上陽水の音楽を聴いて……すべて人からどう映るかなんて気にせず、自分が本当にやりたいことをやっているからこうしたクリエイターの作ったものに興味を惹かれるのだった。ジュディスさんから「Thank you for being you」と言われたことは今でも心の中に活きている。そうだな、エリック・ホッファーを真似してモンテーニュ『エセー』を読んでみるのも悪くないかもしれない。こうして世の中からどんどん外れていき、私はどんどん自由になっていく。それはそれで孤独かもしれないが、心地よいとも思う。