跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/04 BGM: Electronic - Soviet

体温は35.9℃。以前にも書いた、Facebookで知り合ったとあるロシアの方とWhatsAppでメッセージのやり取りをする。私の日記を読み込んでおられると聞き、実に面映ゆい気持ちになる。彼女も村上春樹のファンらしい。自閉症のお子さんが居ると聞き、そのお子さんについていろいろ話を聞かせてもらう。だが私は独身を貫いてきたので子育てについて何らこれといったことを語れない。どうしたものか……と考えて、私の知り合いと彼女を繋げることができないかと思った。日本の自閉症発達障害の教育事情を語ることは、もちろんロシア人に対して直接役には立たないかなとも思うのだけれどまったくナンセンスでもないかもしれない、と……何なら私が彼女の言葉を翻訳したっていい。少なくとも何もしないよりはマシではないだろうかとも考える。だが早まるのもいけないので彼女に確認してからでも遅くはないだろう。繋げることができれば理想ではあるが、急いては事を仕損じる。

芸は身を助けるというが、私の場合まったくもってその自覚があったわけではなく何のポリシーもなく生きてきたとは言え、結局こうして振り返ってみれば語学というか言語能力で自分を律して生きてきたのかもしれない。早稲田を出た後、1つの会社でずっとやってきたとはいえ酒に溺れたり小説で人生一発大逆転だと鼻息荒く頑張ったりと風来坊のように生きてきて……そして40歳で決定的な出会いがあり、そこで出会った方から「あなたの英語はわかりやすいですね」と褒められたことがきっかけとなって「留学したこともないけど、まあダメ元で英語で書いてみようか」と思うようになったのだった。そして今、MeWeやDiscordやFacebookで英語関係で繋がらせてもらった人がたくさんいる。確かにグローバルな環境で友情を育むことができている。ああ、昔あんなに嫌われいじめられたのが嘘のようだ。いや、嘘だったのかもしれない。どこに行っても嫌われ者だったのに、所変われば品変わる。

才能があるとは何だろう。ギフテッドとは……前にもFacebookで「天才ですね」と言われたこともあるのだけれど、私は自分が天才であるとは思わない。確かに「よくもまあこんなに弁舌さわやかに英語を書けるな」と我ながら感心するというか、単なる感心を通り越して呆れてしまうことだってあるのだけれど、ならば私は別の分野ではまったく才能が欠落しているとしか思えないとも思う。過去にみっちり努力したにも関わらずフランス語を身につけることがついにできなかったし、自炊もできないし車も運転できない。それに私は才能があるないに関係なく読書や英語学習は好きでやっていることであって、その時間に没入していると我を忘れてのめり込むことができる。人から見ればそののめり込んでいる姿が努力だったり勉強だったりに見えるのかもしれないけれど、私はぜんぜんそうは思っていないので面白いなと思う。人がゲームをしているのと同じ感覚で私は英語を学んでいるのだった。

前にも書いたことがあるが、才能ということで言えば私は松本大洋の漫画『ピンポン』を思い出す。あの漫画の中に、卓球に己を捧げて精進を重ねるアクマという卓球少年が登場する。だが(これはネタバレかもしれないが)彼は敗北を喫する。どうあがいても勝てない相手と直面し、自分の限界を思い知らされる……そして彼は挫折を味わう。だが、あの漫画ではそんな風に努力を重ねたアクマのところに彼に相応しい幸福が訪れて、彼なりにハッピーエンドを迎えたとも解釈できる展開が待っている。私はそんなアクマの人生は幸せなものだと思う。努力したところでみんながみんなチャンピオンにはなれない。だが、そんな世俗的な成功とは別のところで、己の全てを捧げて何かに打ち込んだ人間にしかわからない境地というのがあるのだと私は信じている。私もそんな風な境地を夢見ながら英語学習を行っている。とはいえ私はちゃっかりしたところがあるから「日本在住の自閉症者としてTEDのステージに立てないかなあ」なんてアンポンタンなことも夢見るのだけれど。