跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/11 BGM: 真心ブラザーズ - 空にまいあがれ

今日イオンで、品のいい老夫婦の姿を見かけた。「共白髪」という言葉を思い浮かべる。いつも書いていることだけれど、20代・30代の頃私はとことん人生に絶望していたので「自分は40歳で死ねばいいんだ」と思い込んでしまっていた。太く短くパーッと派手に生きたいと思って酒に溺れて、いつ死んでもいい(生まれてきたことが間違いなのだから)と居直って……今はそんなことも考えなくなった。生きられるなら長生きして、焦らず人間的な完成に達したいと夢見るようにもなって……人から「あなたはデータによれば56歳くらいで完全に円熟した人間になる」と言われたことを思い出す。つまりまだまだ「人生これから」、右肩上がりに少しずつ成長していける可能性があるということになる。なんだか話が大げさになってしまった。昨日より今日、今日より明日。1ページずつ本を読むように人生を味わっていきたいと思う。

前に私の日記について読者の方に意見を募って、そしていろいろな意見をいただいた。そのことについてここで改めて書き記し、感謝の言葉を記したい。この日記は確実に読まれている……それを思うと実に重畳に思う。例えばもっと外に出てアクティブにいろいろなことを体験し、それについて書いた方がいいとの意見をいただいた。確かに読んだ本についてばかり書いても進歩がないかなとも思う。部屋の中に閉じこもっていても妄想が膨らむばかりだ……すぐにいただいたアドバイスを活かせないのが私の悲しい性だが、焦らずに自分の答えを提示していきたい。現時点で思うのは、もっと自分の英語学習について書けないかなということだ。日本語と英語のギャップから来る問題・課題について話題にできないか、と。例えばさっき書いた「共白髪」をどう英語にするかという話題は肩が凝らない、「ゆる~い」話題になるのではないかな、と……私だってそんな四六時中ウィトゲンシュタイン村上春樹について考えてばかりというわけでもないので、気取ったりしたくないのだった。

酒を断ち始めて8年。いつも思っていたのは、「今日1日をなんとかしてしのぎたい」ということだった。「1日断酒」「今日1日を酒抜きで」……それだけを考えて。言い方を変えれば長期計画なんてまったくもって立てたことはないのである。5年後や10年後、自分がどうなっているだろうかなんてまったく考えられない。それは私が発達障害者であり常に目まぐるしくアイデアを頭の中で考えるクセがついてしまっているから、じっくり何か1つのことを頭の中で煮詰めたり未来を読んで何か計画を立てたりすることができないということに尽きるのだろう。1日、とにかく今日1日、酒を抜く。その繰り返し。日記にしたってここまで長く続けられるなんてこれっぽっちも読めていなかった。ただ今日1日執筆することだけを考えて、それを繰り返してここまでたどり着いたのだった。

昼休み、ピチカート・ファイヴの「陽の当たる大通り」を聴く。この歌の歌詞に導かれて、私自身が死ぬ前にやり残していることはないかと考える。「我が生涯に一片の悔い無し」という言葉を思い浮かべて、私もウィトゲンシュタインのように自分の人生を幸福だったと総括できるだろうかとも思った。そうするとまだソウルメイトとの出会いを経験していないとか、あるいは美味しいものを食べたいとかそういう欲が自分の中にあることに気づく。まだまだ、夢見ていることややりたいことがある……発達障害者の眼から見た世界についてこの日記で(今まで書いてきたような形で)紹介していきたいとか、英語を学ぶ人間として気づいたことを書きたいとか、そうした夢が広がるのを感じる。おかしなものだ。フランツ・カフカのように40で死ねればいいと思っていた私の人生は、実際にはその40の歳から酒を断ち始めたことで「やっと始まった」のだとも言えるのだ……。