2022/10/21

なぜウィトゲンシュタインの哲学に惹かれてしまうのだろうか、と考えた。もっと実利的な哲学に惹かれるべきではないか、と。私の知る限り、ウィトゲンシュタインの哲学はお金儲けにはつながらない。それどころか生きるための知恵にすらならない。だが、彼が全生涯を賭けて考え抜いた哲学は私の心を癒やす。今日は大谷弘『ウィトゲンシュタイン 明確化の哲学』を読んだのだけれど、改めて自分にとって彼の哲学は危険であり同時に魅惑的なものでもあるという印象を抱いた。もっと彼の哲学について読み進めていきたい。

こう生きれば正解だ、というルールなんてものはない。だから私の人生もまた、ありうべきものとして位置づけられるのかもしれない。私は独身で貧乏でもあるのだけれど、楽しく気ままに生きられているのでこれはこれでひとつの人生なのかもしれないと考え始めた。こうして自分のことを肯定できるというのが自分にとって幸せだと感じられ始めている。会社の人からすれば私の人生は「終わっている」のかもしれないけれど、私はそんな人生に愛着を感じられ続けている。だからこれからもこの生き方を全うするだろう。

北斗の拳』の登場人物が、「我が生涯に一片の悔い無し」と言い放つ場面を思い出す。私は自分の人生に悔いを残して死ぬ、とは思えないだろうか。そうは思わない。私はまだまだ生きるつもりなのだけれど、自分がやり残したことはないとも思っている。もちろんなれるのならもっとビッグになりたい。英語を活かした仕事を発展させていきたい。だが、今の時点でも充分に私は私に満足できている。あるいはこれは私が貧しい人生に慣れてしまい、欲望も持つことができないままでいるから「諦め」に入っているのかもしれないけれど。

なぜ私がこんなに幸せに感じられるのかというと、それは私が嘘をつく必要がないからだ。自分のことに関して虚勢を張ったり、見えを張ったりする必要がないからだと思う。自然体の自分自身に満足でき、その自分として世を渡ることにためらいを感じていない。ああ、自分に嘘をつかない生き方というのはストレスフリーで気持ちが良いものだ。私はこんな生き方を自分なりに探究して見出したのだろうか。それとも、人知を超えたものが私にこのような生き方をするように導いてくれたのだろうか。もちろんそれはわからない。