跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/03

clubhouseでこの日記の英語版を朗読する機会を設けてもらった。朗読はめったにしないのでつっかえながら何とかこなす。そこで「L」と「R」の発音の区別について指摘された。これは日本人らしい問題と言えば言えることなので悩む。だが、概ね日記の内容自体は好評なようで何よりだった。clubhouseを使い始めてからはや半年が過ぎるが、少しは私の英語は上達しただろうか。考えてみればこの日記を英語で書き始めてからおよそ8ヶ月。その間ジュディスさんにお会いすることもできたわけで、早稲田で英文学を学んでよかったとも思ったのだった。

池澤夏樹が編んだ世界文学全集の中からダニロ・キシュとイタロ・カルヴィーノの作品が入った『庭、灰/見えない都市』の巻を借りて読む。両者は似ても似つかない小説だが、ベースにあるのは「物語る」という姿勢なのだと思う。父の人生を「物語る」ダニロ・キシュと都市の歴史を「物語る」カルヴィーノ。人生も都市も長い歴史に裏打ちされたものであり、人間の想像力が産み出した事物である。故に、そうした人生を生きた人や都市を生んだ人々に対して小説は敬意を払って記されることになる。なかなか一筋縄ではいかない作品たちだ。

思い起こせば今から7年前の今日、私は偏頭痛で倒れたのだった。そして、呑み続けていた酒が止まった。「これが潮時だな」と思い断酒に踏み切ることにした。そして今に至る。止めてみれば、あんなに呑んでいたこと自体が不思議に感じられる。そして、自分は「7年断酒しよう」なんて1度も考えたことがない。ただその日その日、「今日も酒抜きで生きよう」と考えてそれを積み重ねてきただけだ。それが人生なのかもしれない。ただ毎日、仕事をして読書をして、それを積み重ねて「デカいこと」へと持っていく。この日記だって一日一日をただ積み重ねただけなのだった。人生、本当に何がどう転ぶかわからない。

図書館に行った。何を隠そう私は英文学を学んでいながらジェイン・オースティンを読破したことがない。だから『マンスフィールド・パーク』を読もうかなと思ったのだった。しかし平川克美の新刊が入っていたのでそっちを借りて、図書館の裏の公園の桜の写真を撮った。それを母や友だちにLINEなどでシェアする。『フェリーニのアマルコルド』を思い出す。季節はやがてめぐる。冬は終わり春が来る。何事にも終わりはある。それが人生なのだろうと思う。オースティンはまずは既に持っている『自負と偏見』を読むことにした。可能なら谷崎潤一郎細雪』も併せて読めれば、と思っている。

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