2022/10/26

昨日書いた「中年の危機」を今日も確認する一日となった。本を読んでいても(今読み返しているのはウィトゲンシュタイン哲学探究』なのだけれど)頭に入らない。自分はインプットが過剰過ぎるのだろうかと思い、ではアウトプットをどうしたらいいか考える。Discordのチャットで戯れようか……ふと、自分はこうして本を読み耽るけれど結局何者にもなれていないなと考えてしまう。学者にも何者にもなれず、ただ一介の小市民(?)として終わる。ああ、それも人生。だがそれを言い出せば、自分はどうなりたいのか。それがわかっていない。

こんな時、ふとV・E・フランクルの言葉が思い浮かぶ。人生に何かを期待するのではなく、人生が私に何を求めているか考えること……私の場合はまずジョブコーチのことが思い浮かぶ(今日もそのことでメールを書いた)。そして、知り合いと行っている会合に参加すること。断酒すること。哲学の本を読み耽ること……仕事もしなければならない。私なりにやっているつもりではあるのだった。何か変わらなければならないのだろうか。服装を変えてみるか、恋をしてみるか、読む本を違うものにしてみるか、また映画を観る日々を過ごすべきか……。

こんな風に無意味に時間が流れていくような、無為な一日が始まり終わっていくような時であっても、私のために奔走して下さっている人がいる。それは確実なことだ。ならば私もへこたれてばかりもいられない。そう思い、自分の中のわだかまるものを書き出した。あとどれくらい自分は生きるのだろうか、と……これからいったいどんな人生が待ち受けていて、その人生の中で自分はどう揉まれて成長できるか。わからないが、少なくとも語学を学び本を読む日々に終わりは来ないだろうな、とも思う。どこまで深まることができるだろうか。

夜、断酒会に行く。そこでこないだのふれあい祭りの首尾を話した。通訳をこなせず恥ずかしかったこと……他の方からこのことに関して温かいコメントをいただき、それが本当にありがたかった。酒に呑まれていた時はそれこそ無為に呑んだくれて、仕事が終わると一目散に酒を買い込みTwitterで管を巻きながら(アホなことをしたものだ!)、何の成長にもつながらないことをしたっけ。今はシラフで過ごせている。それだけでありがたい。もう酒抜きで生きることにも大分慣れてきた。これからも、酒とは無縁に暮らす平穏な日々を選んで、その日々を英語学習や読書に宛てて過ごしていくつもりだ。たまにはスピッツでも聞きつつ。