ここでは書けないとある事情により、ぼくは「そういえば、何だか山あり谷ありの人生だったなあ」と思うようになった。つまり「自分の人生を、ここでいったん『まとめてみる』と次に進めるのかなあ」と思うようになった、ということだ。それは前に読んだカレン・チャン『わたしの香港』のような「メモワール」「回想記」の影響が濃いのかもしれない。あの本でカレンが自分の人生と彼女が生きた香港という土地の歴史をシンクロさせて綴ったように、ぼくも生まれ育ったこの町や住んだことのある東京について語りたいと思った。そしてぼくが青春を過ごした実にすさんだ「90年代」という時代について……大学生活でぼくは自分の事務処理能力のなさからアルバイトの面接のブッキングさえもできず、コミュニケーション・スキルが著しく劣っていたためナンパもできずしたがって浮いたロマンス1つない実にモノトーンの時期を過ごした。その生活の果てに就職で失敗して酒に溺れる日々を始めたのだった……そんな失敗に次ぐ失敗の日々について書いてみたいと思っている。それは決して「誰もが聞きたい」武勇伝やサクセス・ストーリーにはならないだろう。でも、ぼくだってそんな「ありえない」人生の甘い蜜を吸った虚構を書きたいとは思っていない(いや、それ以前にそうしたものは「端的に」ぼくには書けない)。
その後……文才はあるはずなのだから絶対に「何者か」になれるはずだと思いこんで、でも実際的には何の研鑽も積まずに酒に溺れる20代を過ごした。その後30代になり、ようやく出会った読書好きの女友だちと東京でオフで会ったりして……そのオフの出会いでぼくはひどく彼女を怒らせることをしてしまって、それについて「どうしてぼくはいつもこうドジなんだろう」と自責の念に囚われていた時にオリヴァー・サックスの本で読んだテンプル・グランディンの逸話について思い至ったのだった。そして、「もしかするとぼくも自閉症(当時は『アスペルガー症候群』と呼んだ)かもしれないな」と思い始め、そのことを当の女友だちに伝えた。「大阪に検査を受けられるところがあるとネットで調べた。行って受けてみるつもりだ」と……すると彼女の言葉が「あなたが自分のことをアスペルガー症候群だと思ったことがないなら、そのことがもう『アスペルガー症候群』そのものだ」だった。さっそくクリニックに行き、かかりつけの精神科医に話をすると「その検査はここでもできるよ」という話になり……そしてそこからもいろいろあって、晴れて(?)ぼくの「発達障害」ライフが始まったのだった。
その後、40を迎えるまで……実にいろいろな失敗・挫折があった。車をなんとかして運転しようと足掻いた(何せハローワークに行くには車が使えなければどうしようもないのだ)。あるいは、上司に「ぼくは脳に『障害』があるのです。診断書を見て下さい」と独りぼっちで説得を試みた。でも上司は首を縦に振ることなく、その精神科医も「上司が見たくないなら無理に見せるわけにもいかないねえ」と渋り、結局どうにもならず……まだグループホームにもつながらず、生活保護は考えたもののすでに両親と同居していたため許可が下りず、ネットでは「実家も出てないくせにえらそうになんか言ってる」と陰口を叩かれ……そんな30代だった。でも、40になり片頭痛で酒が止まった時、ぼくは「ここで死んだらそれこそ『負け』じゃないか」と思ってそれで断酒会の門を叩く決意を固めたのだった。その後「出会い」から「発達障害を考える会」の活動に参加し、それと並行して英語を学び直し始めたのだった。人生はそういう形で思いがけなく始まるものだとも思う。あるいは、そんな風にどこからだって「気軽に」始めてもいいものだと思う。過ぎ去った過去を悔やむことも、生まれてきたことを間違いだったと思う気持ちもいまではなくなった。こんなこともあるのだ……こんなふうな感慨、ぼくの中で「結晶化」した思いを語りたいと思い、いまだ果たせずにいる。