明日日曜日、両親と私と3人で伊沢の里に昼食を食べに行くことになった。思えば私がグループホームに入居させてもらうことになり、両親から自立して生活することになってずいぶん経つ。やっと自分は一人前の息子になったと言えるのだろうか。昔両親と同居していた時は劣等感が激しかった。いつまで経っても私は稼げず自立することもできず(その頃は経済的な自立こそ真の自立だと信じ込んでいたのだった)、やけっぱちになって酒に溺れて過ごしていた。その後ある日片頭痛で酒が止まった時、「このまま酒を呑んだら自分は50かそこらで死んでしまうんだろうな」と思った。そう思うと無性に悔しくなった。悔しい……もう理屈じゃない。ただただ、小説を1編も書いておらず何も成し遂げていないのにこのまま酒で死ぬことが悔しく思って、断酒会の門を叩いた。今思えばその決意こそが今のような再生に至る始まりだった。
ああ、ずいぶん生きづらい人生を生きてきた。今日昼休みに再び東京少年の曲を聴き、東京少年が歌うような青春に憧れたことを思い出した。甘酸っぱい恋愛やクラブ活動、そして勉強……でも蓋を開けてみれば入った部活ではさんざん変人扱いされたので辞めてしまい、その後は帰宅部のまま教室では死んだふりで過ごし、図書館に通って柴田元幸が翻訳した小説を読み耽る生活を送ることになる。今はもう死語になってしまったのかもしれないが、私は基本的に「ネクラ」な人間なので誰とも打ち解けられないまま明石家さんまのヤングタウンや大槻ケンヂのオールナイトニッポンをカセットテープに録音し、それを聴き漁って過ごしていたことを思い出した。だからなのかもしれないが、私は今でもどこか心の中にユーモアを持つことを忘れられないでいる。どこかで「面白ければいい」とアナーキーな感覚を保持している。
「ネクラ」なこともあってか恋人もできず、私も「くだらない人間とつるんで生きて満足するようなぬるい大人になりたくない」と今思えばずいぶん傲慢な、いやそれを通り越してアンポンタンなことを考え、孤独に生きることこそが自立だと考えた。それを思えば「自立することとは何だろう」と思う。熊谷晋一郎だったか、「依存する先を増やすことが自立の条件だ」と語っていたっけ。今は私はグループホームのスタッフの方や断酒会の方、発達障害を考えるグループ、英会話教室(宍粟市国際交流協会つながり)、DiscordやMeWeといったところにつながりを持っている。そうしたつながりが私を支えている。見方を変えればそんな私は孤独ではなく孤立もしておらず、自立の真逆を生きているように見えるかもしれない。その批判は甘んじて受け止める。だが、ならば大人になるとはいったいどういうことなのだろう?
夜、ある女友だちからLINEが届く。去年亡くなった、とことん無頼に生きた私小説作家の西村賢太についてテレビ番組が組まれたと教えてくれた。私も私小説を書いてみればどうか、と……ありがたい薦めだが、私は飽きっぽい発達障害者なのでひとつの主題を長く考え続けることができない。小説の執筆に必要なのは持久力/根気だと思うので、私にはどうひっくり返っても無理だ。日記は日々思ったことを書くだけなのでそっちの方が向いていると睨んでいる。だが、最近知り合った別の方からも書いたものを褒めていただき、何か新しいものを書くことを薦められた。とりあえず西村賢太の代表作『苦役列車』を読んでみようか……彼の日記を1冊読んだ時はそのハチャメチャな生活ぶりとそこから見える勤勉さを興味深く読んだのだったが、これもまた何かの縁だろう。彼の本を読むことが新たな始まりになればと思う。