今日が今年の仕事納めとなる。1年間を振り返ってみて、今年は改めてジョブコーチの方に支援していただけたという意味で実に画期的な1年だったと思った。ああ、この仕事で自分は文字通り何度も泣いたことを思い出す。理不尽な思いをして、涙を流して……東京に住む友だちから言われた言葉がきっかけとなって、発達障害というラベリングと向き合う人生が始まった。途中、ずいぶん酷く酒に溺れたり腐ったりした……そして、40の歳に同じ市内で発達障害と向き合う方と出会い、すべてが始まった。ああ、あの出会いがなければ、自分はまさに負け犬として生きていただろう。私自身さえ自分のことを負け犬だとなじって。
来年と言わず今日から、私は何か新しいことを始めたいと思った。なので、私は新しい単語を覚えていくことにした。昨日はドラッグストアでしもやけに効く軟膏を買ったので、軟膏を表す「ointment」という言葉を覚えた(ただ、40をすぎると流石に記憶力もガタがくる)。今日は私の敬愛する作家・車谷長吉のことを思い出して「世捨て人のように生きたかった」と考え、それを言い表すために「hermit」という言葉を覚えんとした。凡事徹底。英語の勉強も仕事も、引いては人生のあらゆるアクティビティにおいても、大事なのはこうした地味な努力だと信じる。
仕事を終えた後、グループホームに戻る。夕食を摂り、その後年越しそばを食べる。本を読もうとするが、古田徹也『このゲームにはゴールがない』が頭に入らない。考えてみれば年越しという気忙しい日に読書をすること自体無理があるのかもしれない(古田徹也の論考はクオリティはすこぶる高いのだが)。なので、フェルナンド・ペソア『不安の書』やダニエル・デネットの本などをパラパラ読み、とりとめない夢想と戯れる。Discordでサーバを立ち上げ、友だちと高尚な話題からヘンタイ的なコンテンツに至るまで幅広く楽しんだという意味でも画期的な1年だったことを思った。ああ、実に味わい深い1年だった。
昔、私はいじめられっ子だった。特に女の子から蛇蝎の如く嫌われた……でも今は、私のような人間には「過ぎる」と思われるほど多くの人が信頼できる友だちや先輩として心を寄せて下さっている。不思議を通り越して奇天烈としか思えない。昔と今とで自分の中の何かが変わったわけではないとも思うが……強いて言えば私はひねくれた態度で世と接するのを止めたという、そうした違いはあるかもしれない。この世界と努めて誠実に向き合い、アントニオ猪木の「馬鹿になれ」の精神でみっともない身を晒すことを、いつの頃からか始めたように思う(もともと大馬鹿野郎じゃないか、なんて言わないで下さい)。今年もありがとうございました。2023年もよろしくお願いします。