今朝、5時頃目が覚める。今日はいつもの官能小説「I Wanna Be Your Dog」ではなく、もっと別のことを書きたいと思ってひとまず昨日の夜考えていた8050問題のことを英語のテキストにしたためていく。なんとかそれをかたちにすることができたので投稿し、そして二度寝して7時頃目が覚める。ここからはもちろんいつもどおりで、すなおに起床してそしてシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分からの英会話のZOOMミーティングに参加する。
今日の話題はオヤジギャグ(英語で言うところの「Dad jokes」)についてで、ぼくはオヤジではあるもののダジャレはぜんぜん思いつく能がない。DMM英会話で例示されていた記事の「ヤバタニエン」なんか、考えついた人はすごいものだとつくづく思う(使っている人をあいにく見かけたことはないけれど)。参加者の方々のあいだでこうしたオヤジギャグの功罪についてや、好きなお笑い芸人・コメディアンは誰かという話で盛り上がりぼくもつい「明石家さんまや高田純次が好きです」と話す。
その後、図書館に行き前々から気になっていた尹雄大の本『「要するに」って言わないで』を借りる。この本に書いてあることをしばしイオンに立ち寄ってそこで読み、そしてこれまで考えてきたことが誤解だったのではないか(あるいは、無理をしていたのではないか)と反省させられたのだった。自分の下半身事情というか、悶々とした考えを思いにすることに拘泥しすぎるあまり官能的でどぎつい表現を使おうと無理をして、ドツボにはまっていたのではないかと思ったのだった。
いや、もちろん女性にたいする欲望ならぼくの中には確固として存在するのだけれど、もっとそれとは別の(あるいは、それを包括・包摂するかたちでもっと大きくそびえ立つ)欲望というものがあるのではないかとも考え始めたのだ。それはたとえば、子どもの頃になかなかぼくの言っていることを理解してもらえなかったりおとなになってからもなかなか話を通じさせられず、そのことで自己嫌悪におちいってしまっていたということかもしれない。
尹雄大の本はきわめて親しみやすく・わかりやすい文体で記されていて腑に落ちるところ多い。自分自身について、拙速に結論づけて「それは発達障害だから」「それは人格障害だから」と決めつけるのではなくまず自分の中の孤独感・違和感と向き合い言葉にしていく(もちろんこれは時間のかかる作業であることは間違いがない)。自分の中の深淵を覗き込み、そしてそれが語りかけんとしているものを見極める。そして、そいつと対話を重ねる。それこそが肝要なのだろうと思った。
30代の頃のことを思い出した。ぼくは当時、ある自助グループに参加していてそこで「人格改造」を強いられたことがあったのだった。ぼくが差し挟む異論・反論はぜんぶ「人格障害」のせいにされ、つまりリーダーの言っていることを虚心坦懐に聞く人間だけがまっとうなのだという「教え」にしたがわなければならなかった。ぼくは幸か不幸か橋本治や内田樹のような身体感覚から来る素朴きわまりない違和感をだいじにしているので、それでそのリーダーを理解できずにさじを投げてしまった。
いま、ぼくはやっと独り立ちして(矛盾して聞こえるかもしれないけれど)その個人として他者と友好な関係を結び、他者に依存しつつ自分の生きる筋を探れるようになった。それをぼくは大人の定義と考えている。だから尹雄大の本に書かれていることも腑に落ちる。ぼくの中の苦しみについて、もっと冷静に見つめていきたい。その後、自室に戻りそして食事を摂った後昼寝をする。よく眠るものだ。
3時より、市内の旅館にて行われた忘年会に参加する。ホストとなってくださったのはデンマークから来られたカップルとその友だちの日本人女性の3人で、彼らのお友達とぼくなどが集まって総勢7人ほどのささやかな会でワイワイ盛り上がった。そこでHYGGE(ヒュッゲ)という言葉を教わる。デンマーク語で、「居心地がいい(英語で言う『Cozy』)」というような意味らしい。あたたかい食べ物や飲み物、あるいはぼくはお酒は呑めないけれどワインなどを嗜みつつ日々をやり過ごす知恵のことなのだと受け取る。
ぼく以外はすでに顔なじみの仲間同士みたいだったので、どうしてもぼくは仲間に入れず苦しむ。でも、ホストの日本人女性が席を抜けてぼくのところに来てくださってそれでこのイベントのあらましを紹介してくださり、そのHYGGEのことも教えてくださった。村上春樹言うところの「小確幸」みたいな話なんだろうか……という感慨が湧いたものの、さすがにマニアックだと思って言葉にはできずに終わった。あとは、日本人がなかなか英語を話せる人がいないという事実についても教わる。デンマークでは老若男女英語を生活で使いこなしているらしい。
いや、もちろんこれは地の利・不利という問題もあろう。あるいは日本語の構造が英語の構造とそうとうにかけ離れているからむずかしいというシビアな問題もある。でも、その奥にもうすこし原因をさぐっていくとやはり心の中のシャイネス(はにかみ)というものが邪魔をしているのではないか、ということも見えてくる。ぼくだって発音も文法もバリバリのジャパニーズ・イングリッシュだけど、そのホストの方となんとか会話をこなせた。もっと習ったことを誇って、鍛えていけばいいのかなあとのんきなことを考えてしまった。
そして、自室に戻り夕食を摂った後、堀江敏幸が編んだ宇佐美英治の文集『言葉の木陰』を読んだり、堀江敏幸の批評集『余りの風』などを読んだりとひと足早く2025年のしめくくりの準備に入った。
