今朝、5時頃目が覚める。まったくなにも頭が働かないのでそのまま二度寝することにして気がつくと7時。いつものようにシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分の英会話のZOOMミーティングに参加する。こんかいの話題は社会貢献など貢献する行為がその人をしあわせにさせる可能性についてで、参加された他の方々と「これは寄付のことだろうか」「ボランティア・スタッフとして貢献してきたことならある」といった話題で盛り上がる。そこで、ぼく自身が今度それこそボランティア・スタッフとして高校生のコミュニケーション(英語)をアシストする話をすると他の方も感心されていた。
その後、10時より仕事に入る。午前中の仕事のあいだ、ぼくは(いつものことながら)過去のことを振り返りひそかに反芻する。思えば、あるいはぼく自身が心を閉ざしすぎていたから誰も近寄りがたく、それゆえによそよそしく腫れ物にさわるように接するしかなかったという可能性も充分ありうるものの、それでも20代・30代のころの時期はぼくの主観からすればほんとうにひどい時代だったとしか言いようがない。とりわけ30代はぼくの人生におけるどん底だったといまなお思い、そんな時期をよく乗り越えられたものだとわれながら感心する。
前にも書いたように、当時ぼくは社会学者・宮台真司が編んでいたウェブサイトの掲示板をとおして出会った方の主宰する自助グループに参加していた。そこで、その主宰者の方から「そんなにボロボロになるまで働かなくてもいい。生活保護かなにかもらってのんきに暮らすほうがいい」というようなことを言われたこともあった。当時はそれにたいして虚を突かれてしまい、どうしたらいいものか考えあぐねているうちに職場でそれこそ行き詰まり、生きるか死ぬかの地獄を見る思いをして、けっきょくじたばたして就労不可の状態に追い込まれたのだった。
いま思えば、たしかにぼくは心を閉ざしていて誰にも自分の悩み・苦しみを打ち明けていなかったので同居していた両親をいたずらに心配させて終わっていただろう。だが、両親はぼくの仕事にたいして批判的なことを何度か口にしていたのでそれで信頼できず、かといって職場に気の合う仲間と呼べる人もおらず、ジョブコーチと知り合うのもまだ先のことでネットの友だちはしょせんヴァーチャルな(かりそめの)関係でしかないとも思い、そうなってくると誰を信頼していいかわからず、孤独に奮闘するしかなかったのだった。
でも、ぼくだけがとりわけ不幸だったという話でもないだろう。20年前、まだ発達障害が「アスペルガー症候群」だった時期、田舎町でのそんな変な人のあつかいというのはそんなものだったのだ。ぼく自身、酒におぼれて自分自身を責めて、生まれてきたことを間違っていたとまで思い詰めて……もちろんそこまで自分を責めてもどうしようもないので、けっきょく酒に逃げるしかなくなってしまったのだった。そして、就労不可から3ヶ月の自宅待機期間を経て職場に復帰し、いまの生活にいたるきっかけをつかむこととなる。
これもいつも書いていることだが、40代というもう若くもなんともない、伸びしろだってあるんだかないんだかわからない(少なくとも人生イッパツ大逆転なんてできるわけもない)時期に英会話をやり直すことになり、そしていまに至る。なんだって若いうちから始めればいいとは思うものの、でも結果論にはなるもののぼくの場合はそんな「終わった」時期から虚心坦懐に・こつこつ始めたことがよかったとも言えるのかもしれない。英語を話せれば(スキルがあれば)そのまま人間的にもグレードが高い、というアホな思い込みから脱して自分のペースで英語を話せるようになったからだ。その意味では、いい時にいい人と出会ったのかなとも思う。
もしあの時期、あの主宰者の言葉を聞いてそれこそ労働を放棄してしまって、独りでひきこもりかなにかになっていたらどうなっていたことか。ひきこもりをどう見なすかというのはぼくにとってなかなかむずかしい。ぼくはひきこもる選択というのはありだと思っている。社会がここまですさんでしまっている以上、ニートやひきこもりといった期間を経て自分を見つめ直し、やりたいことを練り直したり傷ついた心を快復させる時間も必要だというのがその理由だ。でも、こんなことを語っているぼくはけっきょくひきこもれず(半年なにもしなかった時期はあるが)いままで働いてきたのだった。だからリアルを見つめられていない嫌いはある。それはどうなのか、とも考え込んでしまう。むずかしいものだ……と書いて逃げることにしたい。
退勤時間になり、自室で夕食を摂る。その後、ぼくの好きな沢木耕太郎の文庫本『ポーカー・フェース』を読む。ぼく自身は過去に自分のことを不運だ不幸だと嘆き節で生きていたが、たしかに比較すればぼくは不幸なほうに属するかもしれないものの、でも沢木耕太郎の文(いや、それこそぼくの好きな堀江敏幸や保坂和志の文だっていいのだけど)を読んでいるとそんなこざかしい「不幸という檻」に閉じこもってないでもっと外に出たほうがいいのではないかとも思えてきた。いま、こんなインドア派の性格でありながらZOOMミーティングにまめに出て英語を磨いているのもそんな落ち着かない・尻軽な性分だからかもしれない。
