単純な生活

Life goes on brah!

20251201

今朝は7時に目が覚めたので、そのままシャワーを浴びて洗濯機を回すことになって官能小説「I Wanna Be Your Dog」は書けなかった。そして、これが三文文士の悲しさというもので朝方どうしてもムラムラしてしまって、欲求不満を抱えたままZOOMミーティングで英会話に参加することとなる。だから相手の話をきちんと受け留められず苦吟する。主宰されている方から「真面目にやりなさい」とお叱りの言葉を頂戴しそうなありさまで、笑いごとではなく自分の欲望とほんとうに正直に向き合わないといけないなと反省させられた。

その後、朝食を摂り遅番の日の常としてグループホーム本家におもむく。そこでこないだすこし書いた、5日に行われるという市内の忘年会的イベントの話を管理者・副管理者の方々にした。まだ参加できるかどうかわかっていないので詳述は控えるが(日が日だけに、いまさら申し込んでも間に合わないかもしれない)、国際色豊かなイベントなのはたしかなようだ。うまく行けば英語を話せるかもしれない。そのことを考えると夢がふくらむ。

その後本家でしばし堀江敏幸『おぱらばん』を読み、それをもとにぼく自身の思いをメモパッドに英語で書きつけていく。ただ、やはりというかいまは調子が悪いようで端的に気乗りしない。ジリジリと炙られるような時間が過ぎていく。さいきんSpotifyで配信されるようになったケン・イシイの『Sleeping Madness』を聴いたりしつつ過ごし、ふと昔のことを振り返る。この日記でも何度か書いてきた、過去にほんとうににっちもさっちもいかなくなってしまってここで書くべきではない愚行をおこなったことだ(ここまで書けばもうたいていの人は察すると思う)。

そしてその愚行が一段落して……あれはぼくが30代の前半のこと。発達障害とわかったばかりでまだ福祉のシステムにつながらせてもらっておらず、したがって将来は生活保護しか頼るものがないと暗澹とした気分に浸っていた時期だ。そんな時期がたしかにあった……いっときは東京の私大に通うほどのキャリアを勝ち得ていながら、どうしてこんなことになってしまったのかと不条理を噛み締め、そして自己嫌悪におちいり酒に逃げるしかなかった(40の歳、ぼくは断酒に踏み切る。それまでは毎日缶ビールを半ダース呑んだくれていた)。

ただ、それでもどこかで「いまに見ていろ」と思う気持ちだけはあったのだと思う。となり町の図書館で、ひょんなことから知った同郷の作家である車谷長吉の小説集を読みふけるようになりなにかを盗まんとしたことを思い出す(『赤目四十八瀧心中未遂』を筆頭に、彼が編んだ『文士の意地』も通読した)。いま思えば車谷長吉のような「反時代的毒虫」は生半可なエピゴーネン(模倣者)を許さないてごわいもので、その意味ではぼくはたんなるアマちゃんだったということになろう。でも、なにはともあれそんな日々を生きた。

この身を文学に捧げたい……そんな思いだけはあったなあ、と思う。いやその割にドストエフスキーフローベールもぜんぜん読んでなかったのだからお里が知れるというものだが。逆だろうか。思い入れが激しければ激しいほど、最初の一歩を踏み出すのにおくびょうになってしまうところがぼくにはある。そういう力みすぎが典型的な「眼高手低」に至っていたのかもしれない。

1時から仕事をはじめる。今朝方、そして午前中のそんな思念を引きずりつつ、しかしいつものペースを取り戻すべく自分なりに頑張る。昔もこんな感じだったな、と思った。つらいことがたくさんあったり、逆に楽しいことがあったりしてもそれに気を取られすぎずマイペースを貫くこと、決してキレたり暴れたりせず「天運を信じる」というか「人事を尽くして天命を待つ」ことを学んだのかもしれなかった。でも、いまのこの状況においてだったらぼくの方から行動をしかけるのも手なのかもしれない、とも思うものの。

5時になり夜の休憩時間に入る。頭が働かないなりに、過去のことをまたぞろ思い返す。オスとして生まれ落ちて、異性愛者でありそれゆえに女性を求める心を持つ自分自身の中にある野獣について考える。ぼくの中にはたしかにそうした野獣が象徴する欲望がある。その欲望をむき出しにするのはもちろん愚かというものだが、ならばどこまで発揮すればいいのだろう……とか考えていたらくたくたになってしまった。その後、つつがなく仕事を終える。

書き忘れていたことがあった。前に書いた、2分間の英語スピーチの企画にぼく自身も名乗りを上げて参加したいと申し出たのだった。ホストの方が快く了承してくださったので、さっそく企画を考える。発達障害のことについて話したいとさいしょは思っていたものの、自分の将来の夢について話すとかあるいは英語を学ぶ理由について話せたらどうだろうとか、とめどなく考えは広がる。ああ、30代のあの頃、こんな50代の日々が待っているとは予想することなんてできなかった。いま、こんな時間を生きている……それをしあわせに思う。