今朝方、5時頃目が覚める。起きてしばらくはぼんやりしてしまい寝起きの頭が働かない。ただ、この時間を逃すとほかに充てられる時間もないので官能小説(?)「I Wanna Be Your Dog」の続きを書く。なにを書いていいんだかわからないので、ともかくもなんでこんなに寝室は寒いんだろうとかまったく自分自身が死んだような気分になってしまったとか、そんな朝方の憂鬱をストレートに言葉にしてみた。その後、それをいつも読んでくださっている女性にお知らせする。
その後、なんとかベッドに横になり二度寝をする。すると気がついたら7時10分頃になってしまっており、今日こそはシャワーを浴びて洗濯機を回さないといけないと思ってそのとおりに朝の作業を済ませる。こんなことを書くとなんだかきれい好きのように聞こえるかもしれないけれど、実家に住んでいた頃はぼくは風呂も洗濯も大の苦手で(筋金入りのめんどくさがりだったということかと思う)ぜんぜん夏場でも風呂に入らず顰蹙を買っていたものだ。だが、このグループホームに入居させてもらってからは毎日のシャワーと洗濯がハマったようでいまでは浴びたり洗ったりしないと落ち着かない。まあ、そういうものなのだろう。
7時50分から英会話のZOOMミーティングに顔を出す。今日は自由課題というかフリートークの日なので予習は要らず、自由闊達におしゃべりを楽しむ。ぼくが近所の山で行われているもみじ祭りの話をし、そこから風光明媚な紅葉が楽しめる場所の話に話題が移り、そうした場所を訪れる外国の方々の話などで盛り上がる。いままでも書いてきたことをまたなぞるけれど、ぼくの住む土地でも外国から来られた方々(たとえばヒジャブなどの民族衣装に身を包んだり、外国語で会話したりしている方々)の姿をいろいろなところでお見かけするようになった。移民やオーバーツーリズムの問題はこれからの日本が避けては通れない問題なのかなあ、と思う。
ぼくは運よく語学の才にめぐまれたということなのかどうなのか、それはぼくには(イヤミではなくてほんとうに)わからないことだけれど40の歳から10年にわたって英語をえっちらおっちら勉強してきて、いかにぼくがスットコドッコイな人間とは言ってもそこまで学び続けるとそれなりの功徳というものはあるものでいまでは相対的にすんなり英語が口から出てくるようになった。でも、子どもでもわかる理屈として誰もがそういう来歴を備えているわけではない。英語アレルギーの人だっているだろうし、あるいは英語がしゃべれるとしても「日本に来たのなら日本語を話せ」というスタンスの人だっているだろう。むずかしい問題だ。
10時から仕事をはじめる。今日はとりわけいそがしく、こんな日にフラッシュバックを起こしたら目も当てられないので神経がピリピリする。1時に昼休憩をもらってそこで英語メモを書きつけようと考えるものの、まったく頭が働かない。断続的にではあれ夜中眠ったはずなのに食事を摂ってしまうとまた眠気が来て、それで頭の中の源泉がカラカラに干からびてしまったようなそんな無為・虚無的な気持ちにさいなまれる。
若い頃はどうだっただろう? 20代・30代、かくじつに心のどこかに燃えさかるなにかというか煮えたぎるなにかがあって、その情熱に突き動かされていろいろネットではた迷惑に議論をしたり未整理のまま吐き出した文を人に読ませて恥をかいたり、そんなことをしていたと反省する。あの頃、たしかに抽象的な考えは頭の中でグツグツ煮えていた。東浩紀をめくったりしつつ「なんで死んだらいけないんだろう」「生きていてもクソみたいな将来しか待っていない」とかなんとか……いまは違う。いまはただ「眠いなあ」「たらふく食べて昼寝したいなあ」と考えるのが関の山だ。堕落なのか、それとも成長なのか。
午後になり、あるALTの先生がぼくの職場を訪れる。それでその方と英語でやり取り。もちろん意図・予期していなかったことなのだけれど、それでもその方がフレンドリーに話しかけてくださったことでぼくも口が回り、英語でその方のインスタグラムを拝見したことなどを話せた。ふだんから英語力を鍛えていたらこういうことも起きるのかな、と思った。僥倖、と言えばおおげさか。
そんなこんなで6時まで仕事をこなし、そして戻る。その後、夕食を摂った後しばし横になる。堀江敏幸『おぱらばん』を読み始め、こういう作品のタッチを自分も真似できないかと考えてしまったりして……いつものパターンであこがれが先走るあまり、できもしないことをあれこれ考えてしまうものなのだった。その後、9時からある方が主宰された英会話のZOOMミーティングに参加する。そこでシンプルな英会話とゲームに楽しむ。
その後、参加者のある方が2分間のスピーチをされた。話題はAIが教育現場にもたらす影響について。そこから自由闊達にいろいろな意見が飛び交う楽しい場となる。ぼくは古い人間なのかAIを信用できず、いちおうGeminiを使うことはあるのだけれどそれでもそう頻繁に「相手」として使いこなせていない。その昔、アメリカの10代の男の子がChatGPTとの会話のあげく自死に至った話を聞いたことがあるのでそれでより「弱っている心を巣食われたら(掬われたら?)どうしよう」と思ってしまうのかもしれない。そんなことを英語で話した。
ただ、これだけなら頑迷なAI否定になってしまうのでAIのいいところをも拾うとするなら、AIは教科書などの資料からサマリ(要約)を仕上げることに長けているところはあるかもしれない。そうしたテクノロジーをよりよく使えば教師たちの仕事が別の分野に回せるかもしれない……という期待はしてもいいのかもしれないと思った。でも、これもしょせんは素人考え。もっとこの話題についても煮詰めていきたい。その意味で実に刺激的なスピーチだった。ありがとうございます。
