この人生(そう、この発達障害丸出しのスットコドッコイな人生)を振り返ってみて、こんなシンプルな事実を噛みしめる。ぼくの中にある信心深い気持ちとは実にたくさんのものに影響され、そうしたものとの相互関係で形作られてきた。村上春樹に代表される書物からたくさんを学び、星の数ほどの音楽を聴き漁って過ごしてきたことがその筆頭として挙げられよう。自分の中を深く見つめていくと、このユニークな心が日本文学やグローバルにつながるポップカルチャーによって影響されてきたことが見て取れる。
宗教の話題に関していうなら。ぼくは実に単細胞で頑固なおっさんなのでまだ自分の中に神が存在するんだかしないんだか疑い続ける猜疑心があることを打ち明けざるをえない。その意味でぼくは「邪道」なんだろうなと思う。いま、これを書きながらたくさんのポップスターや哲学者が神の謎を解き明かすべく生涯において奮闘したことを思い出す。ジョン・レノンのことや、あるいはフリードリヒ・ニーチェのことを連想してしまった。
日本人の発達障害者として、ぼくはこのなんだかアンポンタンな人生を実に、頭がおかしくなりそうなほど苦悶に悶えながら生きてきたなと思う(そしてその苦悶の家庭で、神がほんとうにいるのかいないのかも自分なりに幼稚な語彙の中で問うたりもしたのだった……言い換えれば神はぼくにとって、信じるに値する価値があるのかどうかと言ったことを問うたというか)。いま、実感として思うのは神はみんなの心の中にいるのかなということで、その1人1人の心の中に棲まう神がぼくたちの内からぼくたちの行動を観察しているというのがいまの実感だ。そして、人の口を借りて出てくる言葉の中に神が宿っていてその叡智をさり気なく見せる。神は集合知というか、ぼくたちの賢さが寄せ集まることによって成り立つ「クラウド」的なものなのかな、と思った。
話は変わって……Discordで、発達障害に関して描かれた大事なメッセージを読む。思い出すのは過去にほんとうにぼくがまだ「青い」子どもだった時期、ぼくも含めてほとんどの人がまだ「アスペルガー症候群」のことをなにひとつ知らなかったどころか名前すらとんと知らないままだったということだ(少なくともこの町でそんなことを知っている人なんていなかったはずで、この当のぼくにしても「そう言えばオリヴァー・サックスの本で読んだことがあったかなあ」という程度の実に「ぬるい」理解だった)。その意味では時代はたしかに変わっていて、ぼくの中の態度も変わってきたと自負する。そして、人生はすばらしい側面を見せてきたとも思う。
