跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/07/20 BGM: Cream - White Room

今日は早番だった。今朝、実は英会話教室でお世話になっている先生の1人にLINEでメッセージを送ってしまい、そこからしばしメッセージのやり取りをする。彼女は、ぼくがあまりにも直接に(そしてたぶんにあまりにもストレートに)そんなメッセージを不躾にもお送りしたというのに、フランクに答えて下さった。だからやり取りをしていて、わだかまっていたものが解きほぐされ明確な答えをもらえたようでうれしく思い、またありがたく感じもしたのだった。先生の温かい人柄にあらためて感謝する。ああ……子どもの頃を思い出す。あの幼心に地獄を見た時期、学校中の女の子にそれこそ虫けらのごとく嫌われてしまい、つらい思いをしたのだった。それこそゴキブリにでもなったかのような気分で過ごしたものだ。あるいは、カフカの小説に出てくる毒虫になったかのような気分で。

昼食時に、土用の丑の日が近づいているということでひと足お先にうなぎを昼食としていただく。その後、学校でぼくがどんなふうにいじめられていたのかあらためてその経験を振り返る。一般論として、中にはこうした経験に関しては「喧嘩両成敗」の精神でいじめられる側もいじめる側も等しく責任があるといみじくも語る人もいる。これが一般論として、つまりいじめ問題に関して言える究極的な格律・普遍的な原則なのかは議論が必要だろう。だが少なくともぼくのケースだけで言えば、ぼくは自分のおこないがそれなりに奇妙で「キモい」ものであったかなといまなら反省できる。だからいじめられたのだ……という理屈ならそれも「そうだったらまあ、しょうがなかったのかなあ」となんとか思える。でも、ならぼくはどうしたらよかったんだろう。まわりの大人たちはなぜアドバイスをくれなかったのか。そんなぼくの態度を改めさせるなり、いじめに介入するような態度を示さなかったのはなぜなんだろうか。

そんなことを思い出し、実にあんなクソみたいな学校時代から(ぼくだってこんな汚い言葉を使うこともあります)実に遠く離れてしまったなあ、と感嘆してしまう。いま、ぼくの周りにいる方々を見渡すと彼ら・彼女たちは自然にぼくに話しかけてくれて、そして堅い人間関係・社会生活を共に築けているなと常々実感する。もちろんだからといって、みんながみんなぼくのことを愛しているなんてことはありえないだろう(端的にそんな事態は不可能で、端的にありえない願いである)。嫌う人だっている。あまり気にしなければいいだけの話だ。それが人生ってものだ。

その昔、ロシアに住むとある友だちが言ってくれたことがある。ぼくにはガイダンス(つまり「先導する人」「先輩」)が必要だったということだ。孤独にさまよえる発達障害者としてのぼくを大人になるべく「怖がらなくていいよ」と導いてくれる、そんな大人。その友だちの言葉を思い出すにつけ、彼女への感謝の念を禁じえない。あのひどい、地獄そのものの時期を経てからぼくは心の中でこの世界を敵に回して、したがって敵意をみなぎらせて生きていたこともあった。さながらインターネット時代が産み落としたジョーカーのように生きていた、と書けば気取りすぎていて笑われるのがオチだろうか。

ある友だちがこんなことを質問してくれた。もしぼくが発達障害者であるという事実を忘れられたら、どうなるだろうか。そんな事実を忘れられないものだろうか……それについてあれこれ想像し、そして思う。ぼくは発達障害者であるという事実を忘れることはついにできそうにない。それはぼくにとって「この肉体を持たない人生」「この魂を持たない人生」を想像するのと同じくらい難しい。でも、だからといってそのことを惨めだとかなんだとか嘆くつもりはない。発達障害者であることを認めることは、その事実にがんじがらめにされていて自由に動けなくなっているとあがくこととは違うと思う。昔はぼくはずいぶんあがきまくったものだが、いまは自分がこの自分であることを誇れる。どんなためらいも感じず、一方でそれこそそんなだいそれたジョーカーみたいな論争的・闘争的な態度を採る必要もなく自然に誇れる(つもりだ)。この正直な感覚に殉じて、このぼくの中の勘に従って生きる。その感覚や勘が、ぼくの中の貴重なレーダーとなってぼくを導いてくれると信じる。