たしかに、一方ではぼくは他人がこの発達障害に関して示すあまりにも楽観的で無責任ですらある(もっときつい言い方をすれば「駄ボラ」とさえ言いたくなる)考えには与したくない。たとえば発達障害が天才の証だとか、神から与えられた賜物(ギフト)そのものなのだというような話だ。いや、そうかどうかぼくにはついにわかりようがないが、だとしても過去のぼくの屈辱に満ちた人生を振り返ると、発達障害的であるということはぼくにとっては結局はまさに「イバラの道」を歩んで傷だらけになって、血と汗にまみれて泥臭く生きるしかなかったことを意味する。もっと言えば、プロレスラーばりに満身創痍に生きたとさえ。だからこの件ではぼくはリアリスティック(現実的)になりたい。リアリティを目をそらさずに見つめるべく「厭世主義」「悲観主義」を持ち続けたいとも思う。
思い出す……ぼくが10代の頃、すでに学校でぼくは変人・天然としていじめの対象だった(もしくは端的に蛇蝎のごとく嫌われた)。いや、いま思うとそんなみじめな経験はそれで貴重なレッスンだったとも思う(授業料は高かったし、そもそもそんなレッスンを望んだ覚えはこれっぽっちもなかったにせよ)。そのスクールデイズを終えてからも鬱にもだえ苦しみ、強迫観念で気が狂う思いもしてトラウマに最終的に向き合う羽目になったのだった。いや、これは不幸自慢に聞こえるかもしれない。でも、そう誤解させたなら申し訳ない。発達障害的な人生には往々にしてこういう屈辱・精神的外傷がつきものでもあると聞く。したがって、珍しい話ではないだろうとも思う。ぼくのような経験は「陳腐」でさえあるのではないか。
今日、Twitter(X)であるユーザーが発達障害が万能の切り札ではありえないこと、したがってその障害を言い訳にして困りごとから逃げてはいけないと書いておられるのを目にした。同意するにやぶさかではない。そして、ふと「愛国心はならず者の最後の逃げ場」という格言をもじって「発達障害は弱虫の最後の逃げ場」になりつつあるのではないか、とも考える(もしくはもっときつい言い方をすれば「ヘタレ」となるだろうか)。いや、ぼくは人を弱虫なのかどうか、ヘタレなのかどうかで一概に・暴力的に弾劾したくはない。ぼくだって弱虫だ。だから1人では酒を断てないし、衝動買いや過食やここでは書けないような悪癖だって身に覚えがある。糸井重里の格言ではないが「責めるな、じぶんのことをしろ」と自分に言い聞かせ、ぼくはただぼくの弱さと虚心に向き合ってそれを克服できるかどうか見極めたいというのが本音だ。
仕事が終わり、英会話教室に赴く。そこで今日はアメリカと日本の公共のスペースについて学ぶ。たとえばバスや電車の中で人はどう過ごすか、公園やビーチやその他公共の場でどのように人はそれぞれの時間を過ごすかだ。レッスンを聞いた限りではアメリカの公共の領域では人は自分を主張する闊達さ・アクティブさを発揮していると思った。日本の電車やバスの中はきれいに保たれ、日本人らしいはにかみ(シャイネス)が発揮されている、と。どう思われるだろうか……と唐突に読者の皆さんにムチャ振りをして今日の日記を閉じたい。