そんな朝活の読書活動を終え、図書館に赴く。読み終えた本を返し、そして前々から興味を惹かれていたエヴァン・オズノス『ワイルドランド(上)』を借りる。仄聞したところではこの本はもっぱらアメリカ同時多発テロ事件からトランプ政権時代までのアメリカの歴史をカヴァーした1冊であるらしい。口さがない人はこんなぼくを見て、内向的に読書にふけるのはぼくの弱さの証でありしたがって読書で時間をムダにつぶしていると言うのかもしれない。読書で世界が変わったら苦労はない。外に出てアクションを起こして世界を変えるべく励み、もっと汗を流せ……と。でも、ぼくにだってこのことは言い分がある。というのはぼくはまったくもってプロのコメンテーターではない。メディアやニュースサイトでこの状況の解説を披露できるような能力も知性も持ち合わせていない。プロの批評家でもないのでこのスキャンダラスな事件を分析できる知識もない。つまりぼくはただの普通の小市民であり老いたしがないおっさんでしかないのだった。そんなしがない小市民なりに読み続け、考えてそしてこうしたアクションを起こそうと試みる。他の人から学ぼうとも試みる。
Discordで友だちが――とりわけ彼の地アメリカの人たちが――混乱した様子を見せていてそれに関してぼくも胸が痛む。ぼくは支持者ではありえなかったが、このことに関して自然とあの安倍元総理のことを思い出す。午後、昼食を摂り昼寝を楽しんだあとオズノスの本を少しばかり読む。このスキャンダラスな事態で「staged(自作自演またはやらせ、というような意味)」という単語を学ぶ。
ネットを見渡し、いまもってさまざまな小競り合い(炎上)が起こっていることを知る。このトランプ銃撃に限らず、最近行われた都知事選のことにしてもそうだろう。なんだかそれこそこんなことを書くと「お花畑」「サヨク」「平和ボケ」と罵られるかなとも思うが(そして、ぼくがそもそもそういう「半ちく」「アマちゃん」なのはぼくだって認めるにやぶさかではないにしろ)、ここにいるぼくとしては日々勤めにぼくなりに精を出して、そうした上で事態を落ち着いて眺めて学ぶ努力を怠らないようにするのが最適解と思う。端的にぼくは議論はドヘタなので、ぼくが絶対的に正しいなんてことを言えずいつだって言い負かされてばかりなのが実情である。できることはしたがって、無知・無教養から来る有限の能力と謙虚に腹をくくって向き合うことかなと思った。賢くなんかない、という事実と勇気を持って向き合うことが自分を向上させる……そう信じる。というか、そう信じられなくなって「アホで結構」と居直ってしまったら終わりかなとも思う。
