跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/02/24 BGM: Matthew Sweet - Smog Moon

今日は遅番だった。午前中ロバート・ハリスアウトサイダーの幸福論』を読み返し、ふと私自身が尊敬する人は誰だろうかと考えてしまった。ロバート・ハリス自身がこの本の中で、尊敬も大事だが自分らしくあることも忘れてはならないと語っているのが印象的に映る。確かにそれはその通りだと思う。私の場合、若かった頃のヒーローと言えば村上春樹橋本治、そして宮台真司佐藤伸治を挙げる。彼らから受けた影響を私は隠さない。あとは音楽評論家/エッセイストの三田格やコラムニストの山崎浩一からも影響を受けて自分自身の考え方ができあがっていると思う。彼らは活躍するフィールドはバラバラではあるけれど、それでも思考の根底にあるものが一致すると思っている。単純な左翼/右翼の対立、もしくはリベラル/保守の対立を超えたところでものを考えていて、自分なりのミッションに徒手空拳で挑んでいると思うのだ。過大評価だろうか。

私自身、この日記でしつこく書き綴ってきた通りまさに「道なき道」をひたすら歩む人生を過ごしてきた。そんな中にあって、例えば村上春樹のように日本の文壇というコミュニティと距離を起き自分の世界をストイックに追求する作家の存在は憧れの的だった。あるいは橋本治のような作家/批評家から「自分の頭と身体で物事を捉えて考え抜くこと」を教わったことはその後の人生においてどれほど役に立っているか。私自身はあくまで一匹猫でありたいと思っているが、それでも自分の先を歩くそうした方々の姿に励まされたことは事実として隠すつもりはない。プライベートで交際させてもらっている方々、発達障害を考える会のミーティングでつながらせてもらっている方々も私にとっては常々尊敬する対象である。彼らを見習いつつ、私は私の道を行く。

そのロバート・ハリスの本が終わると、テジュ・コールという作家の『オープン・シティ』を読み始めた。ゼーバルトを連想させるという惹句が興味を惹いたのだけれど、確かに読み進めるにつれてこれは侮れない本だと襟を正す。政治的な事柄に率直に切り込み、実に勇敢にマイノリティとして生きることについて書き切っていると思った。それはまさにゼーバルトの書いたものにも通じる性格で、あるいはこのリリカルな筆致はヴァルター・ベンヤミンにすら届くのではないかと思う。私はゼーバルトベンヤミンも好きなので、この作家を知らずに今まで来てしまったことを恥じてしまった。日本語で言うところの「遊歩者」という言葉がこの作家には似合う。実によく歩き、よくその目で物事を捉え、そして深く考えている。実は英語版のペーパーバックを持っているので、日本語版が終わった後齧ってみるのも一興かなと思った。

今日も一日無事に仕事をこなした。休み時間、ルー・リードニック・ケイヴを聴き心を整える。仕事とは何だろう。かつては仕事は完全に食べていくためのものであり、したがって心が入っていない仕事をしていたと思う。いや、今もある程度までは「食べていくため」に仕事をしている。だが、その仕事が自分を鍛えているという実感をも日々感じられる。仕事をせず毎日食っちゃ寝の日々を過ごせる状況にあったら、多分自分は頭がおかしくなるだろうなとも思う。ああ、かつては「何のために働くのか」「何のために生きるのか」と大真面目に考えたものだ。だが、今はそんなことは考えるだけ無駄なことのようにも思う。職場に行けば、例えばゴミが落ちていれば自然に拾って捨ててしまうし、仕事が終わっていない箇所があれば自然にこなしてしまう。そうして身体にインプットされた本能とでも呼ぶべきものが私を動かして、仕事をさせ日々の生活をさせている。それでいいのではないだろうか。今日も仕事をこなし、終わった後ライムスター「働くおじさん」を聴いて自画自賛で自分の一日をまとめた。